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フジテレビスキャンダルで思い出したFさんのこと
小学校5年生ぐらいの時だったか、クラスにFさんという女の子がいました。柔らかくウェーブのかかった髪は、夏でも冬でも無造作に肩に下ろしていました。前髪も切り揃えておらず、時折小さなピンで留めていましたが、たいていは顔にかかる髪を鬱陶しそうに手でかき分けていました。性格は、明るくも暗くもなく、ふわりふわりと浮遊しているような感じで、お勉強はあまりできる方ではなく、かといって、自分が落ちこぼれ気味であるという自覚もないようでした。表情の変化もあまりなく、ぽぉっと空を見ている感じでした。後に「コケティッシュ」という言葉を知った時、私が思い浮かべたのは、Fさんのことでした。
特にはしゃいだり取り乱したりもしないFさんでしたが、涙目で途方に暮れる姿をよく見ました。度々、Fさんの持ち物が無くなったのです。Fさんの上履きの片方が、校舎脇の鯉の池から出てきたこともありました。当時、そういう言葉も認識もありませんでしたが、あれは紛れもなく「いじめ」でした。
ある日の授業中、突然Fさんの祖母がFさんを引きずるようにして教室の前のドアを開け、バタバタと乗り込んできました。お祖母さんは教壇の真ん中で立ち止まると、Fさんの腕を取って私たちに向かい、こう叫びました。
「この子はいじめられています!きのう一緒にお風呂に入ったら、体につねられたようなアザがありました。誰ですか?こんなことをしたのは?」
担任の先生も子供たちも、思いもよらない出来事に呆気に取られ、水を打ったように静まり返っていました。その場を先生がどう収めたのか記憶にないのですが、私は、Fさんが物を隠されたりしていただけじゃなく身体的な暴力まで受けていたことを知り、ショックを受けました。そんな衝撃的な出来事があったこともあり、Fさんのことは大人になった今でも時々思い出します。
こんなことを憶測で言うべきではないのでしょうが、今になってなんとなく思うのは、ひょっとしたらあのアザは家庭内でつけられたものかもしれないということです。確かにFさんは学校で意地悪をされていたけれども、少なくとも私は、彼女が身体的な暴力を受けているところは見たことがなかったし、万が一あったとしても、服で隠れる部分を狙うという計算は、子供にはできなかったのではないかと。あの無造作に肩に下ろしていた髪の毛も、今考えたら、保護者の余裕のなさ、子供への関心の薄さを物語っていたように思えてならないのです。
いじめが深刻な社会問題として認識されている今なら、上履きが池に投げ込まれていた時点で学校側の責任として調査をし、何らかの対応をしていたでしょうし、Fさんが受けていたと思われる暴力にも、然るべき機関が介入して食い止める術もあったろうと思うと、胸が締め付けられる思いです。
昨日、母とビデオ通話をしていて、話題が現在世間を騒がせている大物タレントの性加害と民放局のガバナンス問題のことになりました。「悪質性の程度を問わず、女性をビジネスの潤滑油とか小道具ぐらいに扱うような風習は昔からあるよね」という話の流れで、母が、「昔は保険外交員が枕営業をしていると言われてた」と言ったのです。
それを聞いて、あっと思いました。そういえば昔、母が「Fさんのお母さんって、保険外交員なのよね」と、あたかも忌むべきもののように声を潜めて話していたのを思い出したのです。当時は、「保険外交員」なんて聞こえの立派な職業のどこに声を潜めなければならないような要素があるのか、分かりませんでした。「女性保険外交員が枕営業をしていた」という噂の真相はともかく、Fちゃんの母親がそのようなステレオタイプに基づく職業差別に晒されていたのは確かで、それも幼いFちゃんの成長過程に何らかの影響を与えたかもしれないと思うと、いたたまれない気持ちになりました。
女性が女性だというだけで軽んじられる傾向は、それこそ人類史上始まって以来根深く続いていることなので、そうでなくなる日はいつ来るのだろう?と考えると、途方に暮れます。今回のスキャンダルは、どの点を切り取っても不愉快極まりなく、報道の量にも胸焼けすら覚えますが、男性だけでなく、女性も「こんな悪しき文化に甘んじまい」と厳しい自戒の念を持って背筋を正し、私たちの孫やひ孫の世代が、「昔、こんなことがまかり通っていたんだって!まじ!信じられない!」と言っている世の中であればいいなと願います。