おはかの中に持っていきたいもの。


お墓に入るときに、何をもっていきたいかなあと考える。

「お墓に何を持って行くか」は、私がちょくちょく考えることのひとつだ。

とりあえず、ずっと大事にしているぬいぐるみは持っていきたい。そのときもまだ一緒にいてくれてるかわからないし、本人が志望してくれるかもわからないけど。でも、「一緒に行ってもいいよ」ということなら、その子を入れるちいさい鞄に入れて行こう。あと、歩きやすい靴はあってもいいかもしれない。

それから、とびきりの思い出。

なんとなく、手荷物はそんなにたくさん持っていけない気がしている。さらになんとなくだけど、思い出はいくつでも持てるんじゃないかなと勝手に思い込んでいる。だから私は、「どんな思い出を持ってお墓に行きたいか」を空想することが多い。

きっと、死ぬときはさみしい。生まれたときとは比べ物にならないほど寂しいのではないかと思う。だから、少しでも安心できるように、あったかい思い出をたくさん持っていきたい。
 
それが、私の願いだ。

 
人生で最後に目をつぶる瞬間が、少しでもこわくないように。

そんなことばかり考えていると、なんとなく日頃の選択肢もそっちにつられていく。

私の場合、持っていくのは豪華な思い出じゃなくていい。モルディブで旅をしたとか、オーストラリアでコアラを抱いたとか、そういうのももちろん素敵だけど。マッチ売りの少女がマッチの炎に思い浮かべたみたいな、両手で抱えられるくらいのちんまりした思い出を、呆れるほどつくっておきたい。
 
彼の似顔絵を落書きしたら何年もLINEのアイコンにしてくれたこととか、
お母さんがつくってくれたコロッケの味とか、
りくろーおじさんの底にあるレーズンを妹はいつも嫌がって汚くほじってたこととか、
お父さんとの思い出は他の家族に比べて全然ないけど、そうだなあ……小さい頃、毎年海に行くと背中に乗せて沖まで泳いで行って、「絶対に浮き輪を離すなよ」と言って素潜りで獲ってきたヒトデやらウニやらを触らせてくれたこととかがいい塩梅な気がする。私のお父さんって感じ。

そういう思い出を、一から十まですべて覚えておくのは大変だから、持って行くのはそれぞれ一瞬の出来事だけでいいかな。

道を歩くたびに知っている花の名前を口にしていたら、少しずつ花に興味を持ってくれた彼の反応とか、高校の友だちと過ごす時間がいつの間にか親戚のようにだらけてしまっている、言葉にならないあの居心地のいい感覚とか。

思い出すときのあなたたちは、笑ったり、だらーっとしていたり、何だかいい顔をしている。そういう瞬間を、私はたくさん持ってお墓に入るんだ。

私が死んだら、私は写真よりも手紙をたくさん入れて欲しいな。お墓の中でゆっくり読みたい。三途の川があるなら、船を漕ぐのは誰かに任せて私はその間手紙を読んでおくよ。

あの世というものが本当にあるなら、私はあの世でお別れしてしまった人たちとまた会えるのがとても楽しみで仕方ない。

そっちの世界もいろいろいきぐるしかったりするのかな。もう死んでるなら、息してないしいきぐるしいとかいうジョークが流行ったりしているのだろうか。

死ぬのはきっとさみしい。
だから、さみしくない思い出を、もっともっと、たくさんつくりながらこれからを生きていきたい。

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