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元カノに買ったクツの話【短編小説】

          1


「え、もうあと2週間くらいしかないじゃん」

 思わずそう声に出してしまったのは、クリスマスも無事終わりをつげた12月26日だった。年の変わり目へのカウントダウンも始まっているなか、俺はその事実にあせっていた。
 「あと2週間」というのは彼女であるヨシカの誕生日までの期間で、年が明けてすぐ、1月9日が彼女の誕生日になる。プレゼントをそのタイミングで贈ろうとするならば、当たり前のことだけれどそれまでに用意していなければならない。しかし2週間程度と差しせまったこの段階でプレゼントにまだなんの見当もついていない状態だった。

 言い訳はさせてほしい。ヨシカとは付きあってからもう5年になる。同棲してからは2年だ。俺の記憶が正しければ同棲してからこっち、誕生日にプレゼントのようなものを送る習慣はもうなくなっていた。ヨシカはもともとあまり記念日にこだわらない方で、俺もそこまでまめなタイプではない。お互いに納得のうえで、そういう習慣はすたれていったのだ。

 だからといって完全に存在がなくなって、何事もない日常の1日になってしまったというわけじゃないから注意が必要だ。どちらかが運よく思いだせば「誕生日、なにか食べたいものある?」という軽い感じで言いだして、ちょっとしたレストランに食べに行くこともある。どちらも忘れて、いつの間にか過ぎさっていたら「忘れてたけど、おめでとう」なんて言葉だけをかける。
 ここ数年はそのくらいの扱いだった。だから世間一般では、誕生日にはプレゼントを渡すこともある、ということ自体を忘れていたというところが正解なのだ。

 じゃあ、なんで今年は改めてプレゼントを渡そうと思ったのかというと、それには2つの理由があった。
 ひとつは今年で付き合ってから5年という数字に、節目のようなものを感じたということ。ヨシカの誕生日につきあいだした俺たちは、彼女の誕生日が来るたびに、つきあった記念日もむかえる格好になる。
 そしてもうひとつの理由は、12月の頭に俺はひどい風邪をひいて、ヨシカに大変お世話になったこと。これが大きかった。丸1週間ほどずっと寝込んでしまい、その間は会社は休んでいたし、食事の世話にはじまって買い出しから掃除にいたるまで、その間の家事はすべてヨシカにやってもらったのだ。とはいえ体調が万全であったとしても、おおかたの家事はヨシカがやっているのだけれど。
 なんにしてもヨシカにだって仕事があるわけで、日中は仕事、帰ってきたら家事をこなし、寝込んでる彼氏の世話までするのは大変だっただろう。
 困ったときはお互い様だとヨシカは言っていたけれど、そのままなにもなく当然のようにおんぶにだっこでは逆に居心地が悪い。なにか恩返しをしたい。そんなとき、ちょうどヨシカの誕生日が近いこと、プレゼントというものを贈ればいいじゃないかということに気がついたというわけだ。

 こういうときに遊びなれた男なんかであれば「流行っているし、この辺のものをチョイスしておけば無難なんじゃないの?」なんて簡単にチョイスできるのかもしれない。しかしとてもではないけれど俺という人間はもう2,3度生まれ変わりでもしない限りモテ男にはなれそうにない。むしろモテ男など、自分からは一番縁遠い人間だとすら思っているのだ。
 切羽つまっているなかでも自分の知識にはまったく自信を持てないので、まずは友人のスグルの知恵を借りることにした。

 スグルというのは俺の大学の同期だ。そして今、働いている会社の同期でもある。大学時代から仲がよく同じように就職活動をして、同じ会社に入ることになった。周りには「デキてんのかよ」なんて揶揄されたものだった。もう10年近い縁なので腐れ縁といってもいいだろう。――ことわっておくけれどデキてはいない。
 支店は違うものの職種はふたりとも営業職。働き方も似たようなものなので、どうにも気乗りのしない日なんかは、ふたりして待ち合わせをしてマンガ喫茶で一日中サボったり、営業車で海まで行ってみたり。
 ノルマが達成できなくてウツウツとしていた時期もあったけれど、そういう時期を乗り越えて、この会社でこれまでやってこれたのは、スグルのおかげだったと言っても過言ではないだろう。

 そうそう。そもそもヨシカと出会ったのもスグルに誘われてついていった合コンだった。俺もスグルも合コンなんていうコミュ力を必要とされる場で明るく社交的にふるまい、純粋に楽しんでこれるようなタイプではない。とはいえ彼女は欲しい。そんなせめぎ合いのすえ「これは人数合わせだから……」と自分に強めに言いわけをして参加したのだ。
 案の定、合コンは楽しくなかったけれど、ひとつだけとても嬉しいことがあった。合コンにはヨシカがいたのだ。
 明るく積極的という感じではなく、むしろ控えめで……苦手な場に来てしまったというギクシャクした感じが俺にとっては好印象にうつった。それに単純にヨシカは可愛かった。
 最近はすっぴんに着古した部屋着で、一日中ゴロゴロしていたりするので、もうちょっとなんとかならないの……なんてちょっと口論になったりもするけれど、第一印象はとにかくタイプだったし、こうして長年上手くやっているのだから互いに馬もあっているのだろう。数合わせの合コンにも価値はあるんだなと、あのとき以来俺の価値観はアップデートされた。幸か不幸か、それ以降その価値観が有効活用されることはなかったけれど。

 そんな腐れ縁のスグルに対し「ヨシカへのプレゼントを悩んでいる、なにかいいものはないか」なんて率直なメッセージを送る。しばらくしてから、たった2文字だけの返信があった。
「結婚」
 冗談じゃない。――いや、もちろんその案を冗談ではないと切って捨てるわけではないけれど、それは冗談にならない。もちろん俺だってヨシカとの結婚は考えていないわけじゃない。俺だって28だし、ヨシカだって26だ。付きあって5年。2年同棲までしていて結婚をまったく意識していなかと言われたらそれはウソだ。俺だってそれは考えている。
 しかるべき時にちゃんと準備をして、ちょっといいレストランなんかを予約して、デザートでも終わったタイミングで、しずしずと指輪を取りだして「結婚してください」、――ってそんな妄想は何度となくしたことがある。
 でもそれは誕生日まで満足な時間もない、こんなバタバタしたときじゃなくてもいいだろう。なにせ結婚というのは人生の一大事なのだから。
 それに最近は、良くも悪くも落ち着いてしまっているので、なんというかそこまでのテンションにちっとも至らないという現実的な問題もある。同棲もしばらくたつと隠すものもなくなって、お互いに緊張感もなにもなくなってくるというのは世間一般の感覚としてもまっとうと言うものだろう。
 ――とにかく。いつかはきちんと……と思っているけれど、それは今じゃない。そう思いなおして俺はスグルにまたメッセージを送った。
「それ以外で! ……というか、ほんとに差しせまってるから、マジなやつでお願いします!」すると、しばらくしてまたスグルから返事が返ってきた。
「マジな話でいくと、ヨシカちゃんの通販の『ほしいものリスト』を眺めてみるのが一番手っ取り早いんじゃないか。見れるならな」
 なるほど現実的なプランだ。幸いにもうちではパソコンを共有で使っているし、お互いあまり気にしないタイプらしく、『ほしいものリスト』だったらたしか勝手に見ることができたはずだ。俺はすぐにパソコンを開いてみた。
 ――おお、いいじゃん。無事『ほしいものリスト』は見ることができた。買わなかった理由はわからないけれど、ほしいと思って保留してある商品がそこにたくさん並んでいた。
 この中から、プレゼントにできそうなものを見つくろって、買ってこればミッションコンプリートだ。なんだ、悩んだ甲斐がなかったな。人間、土壇場に追いこまれると結構なんでもできるものだ。僕は、スグルの功績など元からなかったかのように、ひとりで悦にひたっていた。
 このまま通販で買ってしまえばクリックひとつで済むなぁ……というよこしまな気持ちが頭をよぎるものの、さすがにそれはいくらなんでも誠意がない、というか楽しすぎだろうと思いなおした。せめてちゃんとした店に出向いて買うことにしようと心に決め、今一度リストに目を通してみた。

 そして、そんなインスタントな皮算用はすぐに破り捨てられることになった。『ほしいものリスト』には、プレゼントになりそうなものがひとつもなかったのだ。
 入っていたのは例えば、「電源タップ USB コンセント 側面6個口AC差込口 4USBポート急速充電可能」とか「強化版 みじん切り器 ふたも洗える!」とか、これでもかといわんばかりの実用品ばかり。
 もちろんヨシカが純粋に欲しいと思ってリストに入れたのは間違いないだろう。渡せばきっと喜んでくれるとは思う。それは多分そうだろう。しかし誕生日プレゼントとして渡すにはどれも味気なく、さすがにちょっと抵抗があった。「誕生日プレゼントだよ、はい電源タップ」ではさすがにダメだろう。いくらモテない俺でもそれはわかる。
「ダメだ。リストは見れたけど、ろくなものが入ってない。なんか別の案よろしく」
 しばらくするとまたスグルから返信があった。こんないい加減な要求にもこたえてくれるのはスグルのいいところだ。
「わかりやすいところにはないとなると……、あとは普通にネットで適当に検索するくらいしか。――というか直接聞けばいいじゃん? 素人が慣れてないことを急にやろうとすると大抵失敗するもんだぞ」
 ネットでちょろっと検索して出てくるなら、もう既になにかしらに決めているというものだ。さまざまな情報が出てくるのは間違いないけれど、結局どれにも決めることができなかったからこうして友人に聞いているのだ。
 とはいえ本人に直接聞けばいいじゃん、というのは確かにそうだろう。ただ……、現実問題として直接聞けるなら苦労はしない。
「いや、実は――、ちょっと今またケンカしてて聞くに聞けないんだよねこれが……。クリスマスも何気なくすぎちゃったし。ていうか――何事もないときでも、直接ってのはちょっと恥ずかしい」
「高校生かよ」
 ぐうの音もでない。しかし俺たちはそういう関係なのだ。よく言えばさっぱりしているのだ。それに仲たがいをしていて、直接聞きづらい状態だからこそ、なにか明確な仲直りのきっかけが欲しいところでもあるのだ。
「そこをなんとか」
「あのなー。もっとそういうのが得意なやつにきけよ。俺なんてここ2年彼女いないんだぞ。まったく」
 クチではそう言いながらもなにか考えてくれたようで、メッセージが続いた。
「えーっとそうだな。例えば、『これ欲しいけど、今はお金ないからやめとこ』とか、そういうくだりは聞いたことないのか?」
 言われて俺はヨシカとの会話を思いだす。ヨシカの仕事はジムのインストラクターで、土日休みの僕とは基本的には休みがあわない。こうして悩んでいる今も彼女は仕事をしているはずだ。
 その代わり俺の会社はわりと有給とかは自由に使えるから、休みをあわせて買い物に行ったりすることはあった。そんなときに、一緒に買い物に行ったときなんかに。ヨシカはなにか言っていなかっただろうか……。これがほしい、とかかわいいとか。天井をながめながら頭をぐるぐるとかき回した。
 そしてだいぶ脳内が均一になってきたところで、俺はしばらく前にヨシカと買い物にいったときのことを思いだした。

 確か、夏のセールのときだ。互いの休みをあわせて、セールだから行こうよってヨシカにつれられて百貨店にいったのだ。
 フロアの端から端までひととおり洋服を見て、こっちがいいとか悪いとか……。正直、どちらでもいいんじゃないかと思ったけれど、そこで「どっちでもいいんじゃない?」と言ってしまえば、孫の代までたたられるケンカのネタになることは重々承知だ。最初は「ちょっとだけだから」なんて言っていたけれど、それが本当に「ちょっと」で終らないこともよくわかっていた。
 彼女になおしてほしいと思う部分はほとんどないけれど、買い物の時間が長い……それも、短くすむと言っておいて短く終わったためしがないのは、なおしてほしいと思わない日がない。なにせこうして足をのばして買いにきたような嗜好品だけではなく、日用品を買う場合でも長いのだ。どこにそんな悩むところがあるのか、毎回こっちが不思議だ。
 とにかくそうやって痛い足をひきずりながら見てまわったなかに、一軒のクツ屋があった。

 「うちのクツはメンテナンスしながら丁寧に使えばずっとお履きいただけるんです」なんて店員はプロの笑顔を張りつけならが近寄ってきた。ヨシカはヨシカで「こういう感じのクツ欲しかったんだよね~」なんて言いながら、いろいろ物色しだした。こういうときに寄ってくる店員にものおじしないでいられるのはうらやましい。
 キレイに並べられたクツを順にながめていくうちにヨシカの視線がとまる。壁際に3段になった棚の一番上の左から3つ目のクツ。茶色の外ハネグツで、小ぶりな造作と光沢がかわいらしい。……そんな小難しいことをヨシカが思ったのかどうかはわからないけれど、なんらかの魅力を感じ、そのクツに手が伸びたのは間違いなかった。
 内側に隠すようにつけられていた値札をめくって、……すぐにもどした。そして見てはいけないものを見てしまったとばかりに、足早にその店からあゆみさったのだ。
 「どうしたの?」
 そうやって問いかけると、ぶっきらぼうに返ってきたのはクツの値段だった。なるほど、高い。もちろんクツなんてものはピンキリだろうから、ハイブランドのものを買えばこの2倍や3倍はしてもおかしくないだろう。それはわかっていても、そのクツは高いという印象が変わることはなかった。ヨシカもそう思ったのだろう「見た目はかわいいのに、お値段がかわいくなかった」と恨みごとのように話していた。

 ――そうだ。あのクツこそがヨシカが「欲しかったけど買わなかったもの」に他ならない。値段だって普段買うものにすれば高いけれど、社会人が恋人におくる誕生日プレゼントと思えば決して高いものではない。
 ――あのクツをおくろう。俺はそう心に決めた。そう決まれば善はいそげだ、明日にはあの店に行ってみよう。店の名前はわからないけれど、あの百貨店の……婦人服売り場の端っこのほうの……。と、ここまでわかっていればたどりつけるはずだ。欲しがっていたクツだっておおまかだけど、どんな感じのクツだったかは覚えている。
 期限がせまるなかで、かなり焦っていたけれど、これでなんとかなるだろう。なんの道しるべもなかった俺に急にさしこんだひとすじの光のおかげで俺はかなり安堵の気持ちに包まれていた。

 遅くに帰ってきたヨシカに、「なにか嬉しいことでもあった?」と聞かれたから安堵が顔に出ていたのかもしれない。危うく言いそうになってしまったけれど誕生日までは秘密だ。適当なことを言ってその場はごまかした。
 そのあと、ヨシカが今度の休みのときにどうのこうのと言っていたけれど、すでにお酒が入っていたこともあってこちらも適当な返事をかえしてした。そして目論見が上手くいくことを願いながら、その日は眠りについたのだった。

          2


 ――次の日。俺は意気揚々とその店に向かった。そこに店があって、クツがあれば、物語はそこで終ったはずだ。しかし神様が俺の悪いところをちゃんと見ていたのだろうか。それとも調子にのった俺に天罰がくだったのだろうか。向かったその場所にはあのクツの店はなかった。
 百貨店だし、なんの店もなかったわけではない。しかしそこにあったのは紫色を基調とした、パンキッシュな女性が好きそうな洋服の店で、クツもあつかっているかもしれないけれど、それは断じて俺の記憶に残っているクツの店ではなかった。

 「え、ヨシカちゃんってこんなとこで洋服買うんだ。ちょっと意外だったな」なにも知らないスグルは横ですっとんきょうな声をあげる。たまたま連絡があったときに、スグルも着いてこいよと行ったらほいほいついてきたので、きっと暇だったのだろう。
「いや待て。違う……いや場所はここであってると思うんだけど、こんな店じゃなかったんだ。そもそもクツ屋だったんだよ、ここ」
「え、じゃああれか? 店舗が変わっちまったってこと? もしくは……つぶれちゃったとか?」
「どうだろう。いやというか、ここもハズレなんて、もう俺はどうしたら……」
 せっかく起死回生の一手を思いついたと思ったのに、開けてみたら影も形もありませんでしたという状態ではお手上げだ。店舗名とかがわかれば調べてみることができるかもしれないけど、しばらく前のことだし買い物につきあわされただけという立場もあって、詳しいことはなにも覚えていない。また八方ふさがりに逆戻りか……と思うと、目の前が暗くなってきた。
「いや、どうしたらもくそもあるか。行ってこいよ」
「……え? 行ってこいって?」
 スグルはだまってその紫の店を指さした。
「いやだから違う店なんだって、ここじゃなくてちゃんとクツの店で……」
「それはわかったっての。だから、――聞いてくればいいだろ、前にここに入ってた店の名前を。もしここでわかんなくても、インフォメーションとか行けば多分誰か知ってるだろ」
 なるほど。こういうときにあっさり聞くという選択肢にたどりつけるスグルはできるやつだな、連れてきてよかった。俺はスグルの手柄を横どりして勝手に自分のことをほめた。

 若干緊張しながら俺はその店に足を踏みいれた。無理もない。男一人で女性ものの店に入りこむというのは大変勇気のいることなのだ。幸いそのときほかのお客さんは居ないようだったので、暇そうにしていた背の低い店員さんに声をかける。「この場所に前にあった靴の店を知りませんか」乾いた口でそう尋ねると、その店員さんは少し悩んだすえ、「ちょっと待っててください」と言いのこし店の奥に姿を消してしまった。挙動の怪しい男が女性ものの売り場に入りこんできたので警戒されてしまったのだろうか。しかしそれは杞憂だった。すぐにもう少し偉そうな感じの店員さんが出てきたのだ。見た感じからすると多分店長さんか先輩かなにかなのだろう。先ほどと同じように、前にこの場所に入っていたクツの店を探していると事情を話すと、その女性はすぐに教えてくれた。
「このテナントの場所に前入ってた店ですよね? たしか……『CONT』っていうクツの店があったはずです」。その女性店員さんは、いまのこの店がここに入ったときから働いているらしく、前あった店のことも耳にしたことがあったようだ。そのときは期間限定の出店で、現在はこの百貨店に店はないらしい。さすが店長さん、頼りになる。いやほんとうに店長なのかは知らないけれど。その場でプレゼントを買ってしまうことはできなかったけれど、これは誕生日に向けた大いなる一歩と言っていいだろう。ありがとう店長。ありがとう人類。
 スグルが「ほら聞いてよかっただろう」と鼻高々にアピールしてきた。確かに俺一人だったら、ここで泣き寝入りして他のものを探そうってなっていたかもしれない。くやしいけれど役にたったのは確かだ。俺は言われるがままにビールを1杯おごると約束した。すでにひとつミッションを乗りこえた気になってしまったので、まだ日も高かったけれどふたりで飲みに行くことにした。探せばどこかやっているところがあるだろう。世の中は不真面目な人々にやさしくできているのだから。

 インターネットは無限だ。そして日本の運搬網は緻密で精巧だ。店の名前も商品の感じもわかっているのだから、少し調べればどうとでもなるだろう。ボタンひとつで購入できて、受取時間さえ間違えなければ、ヨシカに知られることなく翌日には手元に商品を確保できる。そんな俺の皮算用はまたもぼろ布のように打ちすてられることになったのだ。
 頼れる店長が教えてくれた『CONT』という店のサイトはすぐに見つかった。しかし似たような商品がいくつかあり、これがあのときのクツだ! という自信を持つことができなかったのだ。もともとうろ覚えなのだからあたりまえだ。実物を見ればわかると思うのだけれど、サイトの写真を見ているだけだと、どうにもどれもが違う気がして、これだという確信まで至らなかった。加えて、決定的なことにその店は通販をやっていなかったのだ。
 よもやこの時代にそんな店があるとは思ってもみなかった。どうやらそうやって希少性を訴えることで価値を高く保とうとする理念があるようだ。すばらしい理念だけれど、せっぱつまった俺にしてみればわずらわしい以外のなのものでもない。

 とにかくモニターの前で当たり散らしたところで通販がはじまるわけでもない。実物を見てみればきっとわかるのではないかと思うし、通販をやっていないのであれば、店に行く以外の選択肢がない。そうだ店まで行ってしまえばいいのだ。
 店舗情報のページにいくと、幸運にも最寄りの店舗は電車で20分程度の場所にあるようだ。それも全国でも3店舗しかないのに、そのうちの1店舗がうちからそこそこの距離にあるなんて。普段の行いが良かったのか、前世で得をつんだのか。とにかく僥倖としか言いようがない。
 それにしても誕生日プレゼントを選びはじめてからこっち。ずっと綱渡りをしているような気がして、じんわりと胃が痛くなってきた。幸いここまでは無事に渡ってこれているのだからまあいいとしよう。もともと俺は何事にも楽観的なところがあって、ヨシカにもよくそれを指摘……いやダメ出しをされたものだ。いざ旅行に行くとなれば、あれは持ったかこれは持ったか、事細かに聞かれて、ちっとも準備していない様が丸裸。ここ行きたいねなんてテレビで見た店にいざ行ってみれば定休日だったりして、なんで事前に調べないのか怒られることもよくあった。
 旅行で足りないものがあったとしても、いまどきコンビニにでもいけば何とでもなる。店がお休みだったら、あきらめて他の店にすればいい。そう思っているのだけれど、そういう大雑把なところがイヤらしい。ケンカになるたびに俺の大雑把さを非難してくる。俺に言わせればヨシカは細かいことを気にしすぎだと思うのだけれど、その細かさに救われた機会が何度もあったことは確かだ。
 言い返したところで悪い方向に進むばかりでケンカが終わらないこともわかっているので、いつも「そうだねごめんね」なんて言ってお茶をにごすのだ。――まあいいや、とにかくプレゼントだ。

 店はそれほど遠くないところにあるのだから、次の休みにでも行くことにしよう。そうそうちゃんと定休日をチェックしないとね。定休日は、――月曜火曜水曜木曜日……ってこの店は週に3日しかやっていないのか。平日はどうしたって人は限られるからわり切っているのだろう。うちから近いこの店舗は結構有名な観光地のはずれにあって、週末の人手は段違いのはずだ。そこを狙い打っているのだろう。
 とにかく次の週末ならまだ誕生日までは日があるし、問題なさそうだ。店に行って、現物を見て、これだと思えるヤツがあればそれを買えばいい。この店自体、「知る人ぞ知る」みたいなところがあるようだから、もしどれかわからなかったとしても、その場で良さそうなものを見つくろって買えば、誕生日プレゼントとして完全に的外れってことはないだろう。よしよし順調に来ているぞ。あと考えなければいけないのは……そう、サイズだ。

 彼女のクツのサイズがそらで言える男なんてほとんどいないだろう。もちろん俺もそうだ。しかしひとたびクツを買おうとなればサイズも知らないでは絶対に買うことができない。もちろん直接聞くわけにはいかない。でも俺たちは同棲しているんだからこの問題は簡単に解決できる。――ヨシカが履いているクツを見ればいいのだ。
 俺はずけずけと玄関におもむきクツ箱をながめる。サプライズのためとはいえ彼女に秘密にしていることもあって、なんだかだんだん悪いことをしている気分になってきた。彼女の不在をねらって、そのクツをしげしげと眺めるという絵面は、たしかにあまり健全な絵面ではないような気がする。
 惑わされてはいけない。俺にはヨシカのためにプレゼントを買うという崇高な目的があるのだ。そうカブトの緒を締めなおし、棚の一番上にはいっていたクツをひとつ手にとる。黒のパンプスでヨシカがよくはいているクツだ。つかんでまずはくるりと裏側に向ける。しかしそこにはなんの表示もなかった。内側に表示されているタイプか? と思いひっくり返してみた。するとそこに何かが刻印されていた様子が見てとれた。しかし長年はいてきたせいか文字が削れてしまって判別することができない。なんだこれは。嫌がらせなのか。持っていたクツを叩きつけてやろうかという考えが一瞬頭をよぎる。いやまて。落ちつけ。クツにあたったところでどうにもならない。クツだってなんの落ち度もないのに叩きつけられた日にはたいへんに目覚めが悪いだろう。とにかく誰のせいでもない。
 気を取りなおし横にあったスニーカーを手にとる。……あった。こちらにはちゃんと内側に記載があった。24.5。よし言質を得た。勝手に盗み見ておいて、言質を得たとは盗人たけだけしいけれど、本人に了承を取るわけにはいかない。念のためもう一足見てみたところそちらにも同じく24.5と書かれていた。初っ端から書いてないクツをひいたのは単にクジ運が悪かっただけのようだ。
 最後に手にとった灰色のバレエシューズには見覚えがあった。確か最初のデートのときにヨシカがはいてきてたクツだ。我ながら良く覚えているなって思う。合コンで初めて会って、連絡先を交換して、そのあとじゃあ二人でご飯でも……という話になったときには、まだお互いどの辺に住んでいるかよく知らず、合コンをやった場所の近くで待ち合わせをした。そして予約した店につくまでのわずかな時間のうちに、ヨシカと俺の家がすぐ近くであることが判明するのだ。なにも遠出する必要はまったくなかったというオチだった。
 そこから順調に交際をすすめて2カ月後には告白した。第一印象が良かったカップルはそのあとも苦労が少ないなんて聞いたことがある。ヨシカはどうだったのか知らないけれど、俺に関しては一目ぼれみたいなものだし、その迷信もあながち外れてないないと思っている。
 それに彼女のほうが二つ年下だけれど、高校を出てからすぐ働いていた彼女は、むしろ俺よりも大人びていたように思う。それは今も変わっていない。もともと世話焼き気質のところもあるのだろう。日頃わずらわしいと感じることが多いのは確かだけれど、正直、彼女ヨシカがいなければこの家は回っていかないというのは確かだ。なにせいまだにゴミの分別も良くわかっていないのだから。俺にはそういう結構基本的な、いわゆる「常識」っぽいところが抜けているところがあるらしい。そういうところは本当に助けられている。

 彼女のクツを見ながら俺はそんなことを考えていた。順調にいけばこの中に俺がプレゼントするクツも並ぶはずだ。気に入ってくれるといいけれど。――ま、それもちゃんと買うことができてからの話だ。俺は自分のケータイのスケジュール帳に「週末、クツ屋に行く」という予定を重要項目として書きこんだ。これで通知もくるし忘れることはないだろう。
 俺はもうプレゼントも買いそろえて誕生日を座して待つ、くらいの心づもりになっていたし、この前ヨシカが週末かどうとか言っていたな……、などということはすっかり忘れさっていたのだ。

          3


「え、うそ? 聞いてないよ?」
「言ったじゃんこの前。今日開けといてって」
 その日、俺は昼くらいには起きだして、例のクツの店に行く予定だった。しかし朝起きると仕事のはずのヨシカが家にいる。どうやら有給をもらったらしい。それだけなら大きな問題ではない。でも彼女が言うには俺と出かける予定になっていたらしい。
 最初こそ、そんなこと聞いてないぞと反論してみたけれど、よくよく思いだしてみると、確かに先週、俺が酔っぱらっていたときに彼女はなにか言っていた。そう休み取ったからどこかに行くとかどうとか……。
 完全になにも覚えていなければ開きなおることもできたかもしれない。でも多少とはいえ頭に残っているのであれば、面と向かって否定するのも気がひける。そもそもクツを買いに行こうと思っていることはヨシカには秘密だし、「なんか予定あったの?」とか聞かれて、「いや別に……なにもないけど……」と言葉を濁すのがせいぜいだった。仕方がない。せっかく休みが一緒なわけだし、それはそれで楽しまないのは損というもの。

 ヨシカが俺に付きあわせたかったのは、弟の誕生日プレゼント選びだった。「俺も今、誕生日プレゼント選んでるんだ、ヨシカのね」とは口が裂けても言えない状況で、人知れず苦労した。それにしてもヨシカの弟はもう20歳を超えているし、いまだに仲良く誕生日プレゼントを交換しているなんて仲の良い兄弟だと思う。世間を探しても多くはないだろう。俺にも兄がいるけれど、誕生日プレゼントなど取っ組みあいをして取りあった思い出はあっても、与えあった覚えなど一度もない。まあ男兄弟はそんなものか。
 肝心のクツに関しては、確か年明けギリギリになんとか行けそうな日付があったはずだからそこで行けばなんとかなるかな……。俺はあいかわらず楽観的にそう考えていた。そして、もちろん後で後悔することになるのだ。

 世間では一代イベントの時期をむかえていた。そう、クリスマスだ。誕生日もこだわらないけれど、うちではクリスマスのほうが多少身分が上らしく、一応毎年ケーキを探して買ってくるのが毎年の通例になっている。とはいえ、どこぞの名店のあの味……、などというほどかしこまったものではない。大手コンビニチェーンとか、大手洋菓子チェーンの広告をながめて、今年はここにしようか、というくらいのインスタントなものだ。それがうちのルールなのだから別に誰にも文句を言われる筋合いはない。いや、むしろ昨今のコンビニケーキなどは、そこらへんのケーキ屋さんのケーキよりもずっとおいしいように思う。大手の企業努力というのは馬鹿にできない。

「ねえ見たこれ? また今年もこういうの話題になってるみたいね」
 そう言ってヨシカが差しだしてきたのは、短文投稿サイトに投稿されたあるつぶやきだった。そこに書かれていたのは、「彼氏にクリスマスプレゼントをもらったものの、趣味ではないし、自分の年齢にはそぐわないし、気持ちはうれしいけれど正直うれしくない」といった内容のものだった。確かに毎年この時期に見る気がする。もらったプレゼントと思われるものが、翌日には中古品として出品されていたりするのが話題になっているところまでがセットだ。いつの時代も男女はすれ違う運命なのかもしれない。
「あーよくある話だよね。いやそうはいってもさ、その男だって相手のことを思って選んだわけでしょ? じゃあいいじゃん『ありがとう』ってもらってしまっとけばさ……」
 ヨシカはそんな俺の発言を途中で止めていった。
「わかってない。ショウタは全然わかってないよ。いい? ネックレスをもらったとして、まずは『ありがとう』ってもらうでしょ? その場はいいのよ、その場はね。でもじゃあその人が、それをいつまでたっても着けていなかったら『あれ?』って思うでしょ?」
「うーんそりゃそうだけど、つければいいじゃん」
「もちろん気に入ったんならつければいいけど……、いや、それも関係性によるな……。だってほら、あんまり好きじゃない人からもらったとしたら、そのプレゼントをもし気に入ってたとしても、そもそもつけたくないでしょ? 『あ、こいつ俺の送ったものつけてやがる、俺に気があるな』って思われるんだよ? 最悪じゃん!」
 俺はヨシカの迫力に気押されて、後ろに少しのけぞっていた。
「かりにくれたのがキライな人じゃないとしても、ネックレスが気に入らなかったら着けたくないわけだし、せっかくもらったのに着けないと、どう考えてもギスギスするでしょ? ――だから結局ね。好きな人から、ちゃんと気に入ったものをもらえるっていうレアなケース以外は誰も得しないのよサプライズっていうのは……」
 結局、最後まで俺はなにも言うことができなかった。そして、もちろん今から自分がサプライズをしようとしているという事実を見直さないわけにはいかなかった。

          4


 見直そう、そう思ったときはまだ年内だったわけで、年末年始をはさむとはいえなんとかなるだろう、そうやって俺は思っていた。もちろんそれまでずいぶん悩んだにも関わら適切なプレゼントが見つからなかったという事実は頭の中からどこかへすっかり消えさっていた。毎度のことながらこの楽観的な性格のせいで俺は何度悩まされればいいのだろうか。
 そう、年を開けて、三が日も開けようとしているにもかかわらず、クツにかわるプレゼントは思いつく気配もなかったのだ。誕生日まではもうあと1週間程度。クツを買いに行くなら明日には店にいかなければならない。ここまで安寧とすごしてきてしまった自分を呪わない日はなかった。そして他のプレゼントが決まってもいないのだから、俺にはとりあえず店に行ってみるという選択肢しか残されていなかったのだ。

 電車を乗りついで20分ほど。その日は天気がよく、青い空がどこまでもさわやかだった。観光地なだけあって、午前中のこの時間からもう人が結構出歩いていた。多くは友達やカップルで訪れているようで、男ひとりで来ているのは俺以外には居ないようだ。もちろん俺は観光に来ているわけではないのだから、気にする必要もない。とはいえ、なんとなく疎外感を感じないわけにはいかなかった。
 ここの観光地にはヨシカとも一緒に何度か来たことがあった。お祭りのときには大きな山車が何代も町中をかけめぐる。その壮観さは結構なものだ。もちろん出店もたくさんでる。城下町ということで手裏剣を投げられるとか、着物に着替えることができるとか、そういう時代がかったイベントなんかもあってふたりで堪能したものだった。
 今日は仕事をしているけれど、俺にだってかわいい彼女がいるんですからね。その誕生日プレゼントを探しているんですからね。……と、内心で誰にともなく対抗心を燃やしながら目的の店にむけて歩みを進めた。駅からは歩いて十分ほど。都会ではないものの、人気のある観光地のはずれという立地は、そのクツの目指しているブランドイメージを感じさせる立地だな。なんてわかったようなことを考えていた。。

 多くの観光客がお城に向かうために右手に曲がる道を、あえて左手に曲がる。そこからもう店まではあと少しのはずだ。観光のために整備された街並みから少しはずれることもあって、多少さびれたビルがいくつか並ぶ。1階に喫茶店が入っているビルの2階にあるのが目当てのクツ屋「CONT」だった。
 すぐたどりついたような書きぶりだけれど、実際には今日は1階の喫茶店が営業しておらず、パッとみ喫茶店だとわからなかったこともあって、グーグルマップを見ながら右往左往のあげくにやっとのことでたどり着いたのだ。
 コンクリートでうちっぱなしの1階から、らせん状になった階段をのぼる。すると2階にドアが見え、ようやく目当ての店にやってきたぞ、という実感を得ることができた。ここまで長い道のりだった。勝手に今までの道のりを振りかえっていた俺の目にはいってきたのは「本日休業」の看板だった。

 どうやら年末年始の休暇が今日までだったらしい。休日に関しては十分に確認したつもりだった。しかし現実には十分に確認されていたとは言えなかったということのようだ。なるほど俺らしいといえば俺らしい。
 ここ数年、そういう細かくて気を配る必要があることはすべてヨシカがやってくれていて、そのツケがまわったと言ってもいいのかもしれない。このときほど自分のいい加減さを呪ったことはない。なにせこれは単にここまで来た労力が無駄になったというだけではない。もう誕生日は目前であり、あとは仕事の日が続くばかり。週に3日しか営業していない店の営業している日を狙ってここまで来るというのはおそらく不可能だろう。つまり、これで俺が持っていた誕生日プレゼントの手札は使い切ってしまったのだ。
 あと数日のうちに手に入る範囲でなにか適当なものを見繕って決めればいい。楽観的に考えればそれだけの話だ。しかし、そうやってこれまでひと月ほど悩んでも適当なものが見つからなかった実績があるだけに、もはや無理なのではないだろうかという不安ばかりが広がっていた。
 すごすごと家路につく俺に観光地にテンションがあがりはしゃぐ若者たちの嬌声が突き刺さっていた。

          5


 何事もなかったかのように年始の仕事が始まって3日がたった。誕生日まではあと2日しかないところまでせまっていた。ヨシカの誕生日プレゼントはもちろん決まっていなかった。
 その日、朝から天気が悪く、空には一面の曇天が広がっていた。天気予報でも今日は雪が降ると言っていたし、もういつ振り出してもおかしくない状況だった。俺はいまだに正月ボケから抜けきれないまま、ゆるゆると会社に向かう。何気なく今日も得意先を回って、何事もなく一日を終えられればいい、とそのくらいに考えていた。――そう、つまり俺はこの時点ではもはや半分諦めていたのだ。いや半分どころではない、完全にお手上げ状態だったといってもいいだろう。
 とりあえず今日を乗りこえるためにスケジュールを眺める。アポを取っているのは午前中までで、午後からは新規先の営業回りの予定だ。そこまで眺めて、ふとある考えが俺の頭をよぎった。
「このタイミングなら、あの店に行けるんじゃないか……?」
 いや待て。慌てるな。慎重に考えよう。ここから電車で行くのはかなり厄介で正直現実的じゃない。でも、万が一アイツの助けがあれば……小一時間程度で帰ってくることもできるんじゃないか? そう思いついた瞬間、俺はケータイを取りだしアイツに連絡していた。
 そして数分の後、アイツから返事が返ってきた。――そう、もちろんアイツというのは悪友スグルのことだ。俺はスグルも一緒に会社を抜けだして、車を出してくれないかと頼みこんだのだ。
 もちろん今日の今日だし、運よくスケジュールが許さなければ無理な話だが、比較的自由になる仕事であることは承知の上だ。そして実際、返ってきた返事は「メシ、おごれよ」というものだった。――よし。これは天から降ってわいた最後のチャンスだ。ここで決めれなければいつ決めれようか。そんな俺の強い決意を知ってか知らずか、空からはチラチラと雪がふりだしていた。

「おい……ウソだろ」
 そうつぶやいたのはスグルだった。そして俺も内心では同じ気持ちだった。でも声に出してしまったら心が折れてしまいそうな自分にも気がついていたので、あえてそのつぶやきには返事をしなかった。
 午前中に降りだした雪は、いまでは吹雪のようになっており、ほとんど視界を奪いさっていたのだ。この地方は冬場に雪がふることは普通にあるから、営業車であればスタットレスタイヤは必ずはいている。だから問題ないといえば問題ない。だが仕事を抜けだして、ちょっとプレゼントを買いに行こう、という軽い気持ちで出てきた俺たちにとって、この吹雪は鼻っ面をひっぱたかれたような気分だった。
「なぁ行くの……これ。ホントに行くのか?」
 ちなみに運転しているのはスグルだ。俺が運転していて万が一にも事故があったときに言い訳がたたないのだからそれは仕方がない。
「当たり前だろ。行くよ。だってそれしかもう思いつかないんだよ」
「だってこれ見ろよ……この雪。道だってきっと混雑してるぜ」
「いやわかる。それはわかる……。でもそう遠い距離じゃないのも確かだろ」
「まぁな。順調に行けば20分かそこらで着くと思うけどな。ていうかショウタだって短文投稿サイトのやつ見ただろ? サプライズなんてするとろくなことにならないんだぜ?」
 俺は吹きすさむ雪をにらみつけながら答えた。
「……それに関しては、正直あまり触れて欲しくない。もっといい選択しがあったんじゃないかって言われればグウの音も出ない」
「そもそもショウタは計画性がないんだよ。今回のだって結局は思いつきでポイント稼いでおこうってことだろ」
 さすがに付きあいが長いと、こちらの痛い場所を的確についてくる。
「いっつもいっつもそんな場当たりばっかりだからヨシカちゃんにも迷惑かけてるんだろ? その辺ちゃんとわかってる?」
「いやそりゃさ……俺だって、わかってるよ……」
「いやーほんとか? この前だって予定聞いてたのに忘れてたんだろ? いつか3人で飲もうって言ったときも、結局やんなきゃいけない仕事が……とか言って流れたけど、俺にいわせりゃそんなの前からわかってたらだろって感じだよ」
 スグルは眼前に広がる吹雪に目をほそめながら話を続ける。こんな天気に自分の用事でもないのに引っぱりだされているという事実が、これまでたまっていた鬱屈したものをまとめて吐きださせているようだった。
「――それにな。大体からしてお前、どう考えてんだよ?」
「……なにを?」
「なにをじゃねーよ。ヨシカちゃんのことだよ?」
「……はぁ? いや普通に好きだよ?」
「ちげーよ! お前な、誕生日プレゼントとか悩んでるけどな。そうじゃないだろ? もう同棲して何年になるんだよ?」
 そこまで聞いてやっとスグルが意図していることがわかった。
「あーそういう……、いや俺だって真面目に考えてるよ。もう付き合って5年だし、いいタイミングがあれば……その、ちゃんとけっ……結婚したいと思ってる」
「だからその、『いいタイミング』っていつ来るんだよ」
「いやそりゃ、大病を患って入院するとか……、転勤しなきゃいけないとか……」
「いい年してそんな漫画みたいなこと言ってんじゃねーよ。そもそもうちの会社は全国転勤はないのは知ってるだろ。それにな大病を患って入院するとか、そもそもそういう受動的な部分がダメだって言ってんの。だからこそヨシカちゃんにも迷惑かけてんだよ。ああだんだん腹が立ってきた。いちじが万事なんだよ!」
 吹雪は相変わらず右へ左へと吹きすさんでいた。視界の悪さやノロノロとしか進まない道路事情もあるだろうけれど、スグルのテンションが上がるにつれて心なしか運転も荒っぽくなったような気がする。
「もちろんそういうタイミングが来るヤツだっているけどな、そんなこといってウダウダ付き合ったあげく、結局別れちまうやつだっていっぱいいる。ほら、ついこの前ナカジマが別れたばっかりだろ」
 ナカジマは俺とスグルの高校の友達で、高校のときからずっと付きあっていた彼女と結婚秒読みと言われていた。でもある日、何気なくナカジマに連絡をとったら別れたと言いだし、仲間うちは結構騒然となったのだ。
 そのうえ、そのあとすぐに彼女は他の男と結婚したという話も聞こえてきてテンヤワンヤだったのだ。
「だからな、通学路でパンをくわえた美少女とぶつかったりもしないし、ひとつ屋根の下にカワイイ女の子が引っこしてきたりもしないだろ。運命なんてな……、運命なんてものに期待するのはな、中学生までにしとかないと……痛い目を見るんだよ!」
 スグルのあまりのテンションに俺は渋い顔をしながら聞きかえした。
「――お前、なんかあった?」
「……美人局つつもたせだ」
「え? なに?」
「出会い系であった女が美人局だった」
「おぉう……それは、ご愁傷様。いくら取られたの?」
「10万」
「……それは痛い。まぁほら、でも立派な風俗行ったと思えば……」
「やってねぇし……手も触れてないんだぜ。部屋入った瞬間、日焼けしてガタイのいい男が入ってきて……怖かったぞ!!めちゃくちゃ怖かったぞ!!」
 思わず俺は吹きだしてしまった。年の初めから美人局とは運がないやつだ。色々言ってるけど結局は自分の日頃の行いが悪かったせいでイライラしているらしい。
「そうかそうか……それは災難だったな」
「すげーなんかこっちに興味持ってくれて、いろいろ聞いてくれるし、明るくてカワイイし……絶対運命だと思ったのに」
 今、スグルの視界はこのひょうひょうよ吹きあれる雪にくわえて、内側から流れでるもののせいで相当見えづらくなっている。正直危ない。
「――だからな。運命なんてものは向こうからはやってこないんだよ。向こうからくるようなことがあったらそれは美人局っていうんだよ! ――わかったか!」
「わかったわかった……。あ、もうつくぞ。そこ右に行ったところな。確かそのちょっと先に駐車場あるから」
 丁度、店についたのをいいことに俺は話を終わらせた。いろいろ痛いところをつかれて後ろめたかったことも確かだった。
 車を止め、ドアを開けると雪は相変わらず吹雪といってよかった。とはいえ駐車場から店までは数メートル程度だ。コートは車に置いたままにし各々、車につんであった傘をさす。よーいドンで走りだし、できる限り短い時間で店にだどりつこうとするものの、足元はうっすら凍結していて普通に走るのもままならない。結局、駐車場から店までのわずかな間に俺もスグルも雪まみれになってしまった。
 所要時間は想定の倍はかかっただろうか。正直なところ雪のせいで精神的にはすでにかなりゲンナリしてしまっていた。
 とはいえこれは最終決戦のスタートラインに立ったにすぎないのだ。

          6


 「いらっしゃいませ」
 らせん状の階段をのぼり、ドアを1枚、2枚通り抜けたところに店はあった。店内にいた店員は二人。二人とも若い女性で当然のようにこの店のクツを身につけていた。
「雪、大丈夫でしたか?」
 こんな大雪のまっ昼間に店におとずれたスーツの男二人を見て、なにを思っただろうか。とにかく表向きは100点の営業スマイルでこちらに話かけてきた。こんな日だからお客さんはさぞかし少なかっただろうし、久方ぶりに来たお客さんが嬉しかったということもあったのかもしれない。
「いやーさんざんでしたね。雪っていうか、もう吹雪みたいなもんでした」
 軽快に答えたのはもちろんスグルだ。どこかぶっきらぼうに放たれたその物言いに、店員は少し居心地の悪そうな顔をしていた。
「そうなんですか。そんななか来ていただいて本当にありがとうございます。なにかもうお決まりだったのでしょうか?」
 その言葉にスグルは直接は答えず、俺に答えろと言わんばかりにこちらをにらみつけてきた。
「えーっと、そのクツを探していまして……」
「当たり前だろ。なんの店だと思ってる」
 いまだにこのこ洒落た空間に慣れておらず、チグハグな回答をしてしまった俺に対し、スグルはすぐに突っこみを入れる。さすがに長年俺と連れそっているだけのことがある。相変わらず店員には営業用の"スマイル"が張り付いていた。
「あの、彼女の誕生日プレゼントを探しているんです」
「そうなんですね! 素敵じゃないですか。あ、もしかしてもうCORTのクツとかをお持ちだっりするんですか?」
「いえ、今はまったくもっていないんですけど、すこし前に彼女と二人で、……この店じゃないんですけど、他のところでこの店のクツを見かけたことがあって……。その時に彼女が『可愛いな』って言っていたクツがあったんです。だから誕生日に、そのクツを買ってあげられたら……って思いまして」
 しどろもどろにそんなことを話しながら、目では店内にあるクツを端から追っていた。このクツじゃない、このクツでもない。そうやって上のほうから順に眺めていくと、一番下の棚にあるクツが目に止まった。――あった。これだ。百パーセントの自信があったわけではなかったけれど、他のもので、それららしいものはないし、値段も確かこのくらいだったはずだ。
 念のため俺は店員さんに聞いてみた。
「このクツって、昔からある形ですか?」
「ええ、そうですね。うちのクツは長く使ってもらうことを前提にしているので、あまり新しいものは出なくて……。その代わり長年愛してもらっているクツばかりなんです。これがその彼女さんの言ってらっしゃったクツなんですか?」
「ええ……おそらくですけど、多分これだと思います」
 しかしここで俺の優柔不断さがまた出てしまった。他のクツもいいんじゃないかと浮気心が出てしまったのだ。とりあえず聞いてみるくらいしてもいいだろう。そんな思いで言葉を続ける。
「あの……ちなみに人気のあるやつでいうと、やっぱりこの一番上の棚のクツとかになるんでしょうか?」
 そこにあったのは色とりどりのサボで、これがこの店の主力商品であることはホームページなんかを見て知っていた。
「そうですね、確かにうちの一番の看板はこの辺りの商品です。でも人気で言えば、この2段目のクツなんかもかなり履きやすくて買われる方は多いですよ」
 ということは必然的に俺が今買おうとしているものは、主力でも人気の商品でもないということだ。別にそれでそのクツの可愛さが損なわれるわけでもなければ、彼女のセンスが棄損するわけでもない。しかしそのとき起こったのは俺の中の自信のゆらぎであった。迷ってしまったのだ。
 彼女がいい、と言っていたのだからこれを選ぶに越したことはない。人気があるとかないとかなんてこの際関係がないはずだ。実際このクツだって十分可愛いと思う。でも本当にこれでいいのだろうか?
 こういうときに自分のセンスとかおしゃれとかに自信があれば鶴の一声で決めてしまうことができるのだろう。しかしそんなもの一朝一夕に育つわけもないし、今、まさに商品を選ばなければならないこの瞬間にそんなものが飛躍的に確立されるはずなどない。
 これはまずい……どうしたらいいんだ。時間さえあればもう一度家に帰って考え直すところだろう。しかし肝心の時間すら俺には残されていないのだから。頭が真っ白になる。固まってしまった俺を横目に、笑顔をはりつけた店員が困っている様子が伝わってくる。しかし残念ながらあたな以上に俺は混乱しているのだ。
「おい、ショウタ。――ちょっとこれ見てみろよ」
 永遠に続くかと思われた静寂をやぶったのはスグルだった。そしてスグルが手にとっていたのは一冊の冊子だった。それは数々のクツにならんで棚に並んでいたもので、クリエイターを応援するというコンセプトのもとに作られたものだった。いわゆるひとつのオシャレな雰囲気を後押しするためにクツとは直接関係ないものの並べられた雑貨のひとつ、という感じのアイテムだった。
 スグルはそのなかのページを開き、ズイとこちらに突きだしてきた。そこ載っていたのはある陶芸家のインタビューだった。
「――ん? なに。これがどうかしたの? 知りあいか?」
「ちがうよ。ここ読んでみな」
 インタビューアーの質問は「創作において意識していることはあるか」というよくあるものだった。それに陶芸家は答える。「いいものってどんなにやかましかったり、忙しかったりするような状況でも刺さってくるものだと思うんです。見た目が奇抜とかそういうことじゃなくて、一直線に魂に刺さるようなもの。そんなものを作りたい」とそう答えていた。
 「いいなって言ってもらうためには目に入った瞬間にその心をつかめるだけのものでないといけない。だからその彼女がゆった一言とかは大事にしてほしい。きっと一瞬であったとしてもそれは彼女に刺さったものだんだから。そうやってちょっとでも記憶に残るってことは簡単なことじゃないし、その思いを大切にしてほしい」
 そうやって陶芸家の女性は記憶に残っていたことの大切さを語っていた。なんということだろう。これこそ今、俺が欲しかった言葉じゃないか。
「な? 一瞬でもヨシカちゃんの心をつかんだってのは大変なことなんだよ。そのことは大事するべきなんじゃないのか」
 俺はやはり優柔不断なんだろう。目当てがあってここまできているにも関わらず直前で目移りしていろいろ悩んでしまうなんて。でもそういうときにこうして周りの友人とかヨシカとかが間違えないように支えてくれたんだろう。出会ってからこっち、ずっとそうやって俺のことを見守ってくれたのだ。そんな様々な思い出が走馬灯のように頭をかけめぐっていた。
 そのあと俺は、最初から決めていたあのクツを買うことにした。

          7


 今日は彼女の誕生日。大雪のなか、散々な思いをしながらも無事買うことができた誕生日プレゼントはクローゼットの一番下にしまってある。俺は休みだったから、仕事に出かける彼女を眺めながら、さも何事もないかのように彼女に聞いた。もちろん内心はすでにビクビクしていた。
「そういえば誕生日おめでとう。そこそこの時間に帰ってこれるなら、どこか食べにでもいく?」
「あ、覚えてたんだ。もうすっかり忘れられてるのかと思ってた」
「そんなわけ……ないだろ」
「ふーん。ま、いいや。年明けたばかりだし、ちょっと時間が読めないから今日は家でいいよ。冷蔵庫のもの使いながらお鍋にでもしよっか。――あとはそうね。ケーキのひとつくらいあったら嬉しいかも?」
 いたずらっぽく笑いながら彼女は仕事に出かけていった。これまでの苦労を考えればケーキのひとつや二つくらい軽いものだ。
 ほどほどに外出する準備をして、近所のケーキ屋さんにおもむく。彼女が好きなのは生クリームの沢山のったショートケーキ。切り分けられたものにしようかとも思ったけれど、せっかくなら……と思いなおし、4号サイズのホールケーキを買うことにした。
 最初から好きだとわかっているものならこうして悩むこともなく決めることができるのに……。サプライズしようなどと柄にもないことを考えた自分を今更のように呪った。それも今日が済めばひと段落だ。ケーキを買いに行ってどのタイミングでクツを出そうかと、そればかり考えているうちに彼女が帰ってきた。
「おかえり。早かったね」
「うん、なんだかんだ色々あったけど最後らへんは結構あっさりだったから。着替えたらナベ作っちゃうからちょっと待ってて」
 これまでだったら帰ってきたヨシカがそのまま夕食を作ることになんの違和感も抱かなかったかもしれない。でも自分とヨシカについていろんなことを考えた今となっては、このまま一方的に親切を受けいれる状況は居心地が悪かった。そもそも今日はヨシカの誕生日なのだ。
「手伝うよ!」
「……あら、そうなの? めずらしい。そうね、じゃあ野菜切ってもらおうかな」
 ヨシカはそう言いながらクツを脱いだ。仕事のときにはスニーカーと決めているようで、その靴はすこしくらびれて黒くなっていた。
 部屋着に着替え、キッチンにやってきたヨシカを横目にしながら俺はずっとソワソワしていた。やはりケーキを出すタイミングだろうか。そのタイミングで「誕生日、おめでとう。実はサプライズでプレゼントを用意したんだ」と、そんな感じでどうだろう。テレビをつけて、それを見ているふりをしていたけれど頭のなかはそんなことばかりを考えていた。
 暖かい湯気が部屋に充満したして「はいこれで完成!」というヨシカの声がかかる。さあとりあえずお膳は整った。これからが今日の大一番だ。
「それで――?」
「え?」
「なにか隠してるでしょ?」
「え?」
 俺は彼女の言葉に二度もさえない返事をしてしまった。こちらがサプライズを仕掛けてやるつもりで頭がいっぱいだったところに、急にその対象からカウンターが入ったのだからそれも仕方がないだろう。
「だって最近ずっとそわそわしてるし、今日も朝から目が泳いでるし。何年一緒にいると思ってるの。いや、もし仮に今日初めてあった人でもその狼狽っぷりを見たらすぐわかったと思うけどね」
 ヨシカは苦笑しながらそういった。
「まあ今日は誕生日だからなんかあるんだろうなーくらいに思ってた。ちょっと前に風邪ひいてわたしに散々迷惑をかけたことだし。そんなあたりが後ろめたくなってプレゼントのひとつでも用意しなきゃってところかしら?」 
 開いた口がふさがらないとはこのことだった。
 俺が百戦錬磨でサプライズが得意な男だったらもっとうまくやったかもしれない。でも実際はサプライズなんてするのは初めてなのだからバレるのは仕方がない。しかし帰ってきてそうそうに、ここまで丸裸にされることなどあるだろうか。
 でもそのとき、俺の心のなかに広がっていた光景は不思議な感覚だった。ヨシカの先読み能力に心底圧倒されている自分がいるのと同時に、妙に冷静で、まるで上から俺を見下ろしているような自分がいたのだ。そうなんだよな、俺が考えることなんてヨシカにしてみれば全部、手にとるようにわかっていて当然なのかもしれない。だってこれまでずっと一緒に過ごしてきたのだから。
 ときには呆れたり、ときには失望したり、色々なことがあったと思うけれど、そんな俺をきびしくもやさしくフォローしてくれたのはいつもヨシカだったのだから。
 上から見下ろしていた俺がいつしか自分に重なる。
 ヨシカを正面からまっすぐに見つめ、俺は言った。
「ヨシカ。……結婚しよう」
 ヨシカは口をなかば開けたままフリーズしていた。
 さすがにこの発言はヨシカの先読みには入っていなかったようだ。いや、そうは言っても本来ならそういう選択肢が入っていなければいけないくらいの付きあいだよな……。どれだけヒドイ彼氏なんだよ。そう他人事のように思うと、ひとりで面白くなってきてしまった。急にそんな言葉が出てきた自分自身にも対してもだ。
「えっと……」
 ようやくヨシカの脳内がすこしまとまってきたと見えて、ゆっくりと彼女は口を開いた。
「それは、……本気?」
「もちろん本気だよ。いくら俺がいい加減でも、適齢期の彼女の誕生日に冗談で結婚話を持ち出したりはしないよ」
 ちょっと待ってね、と俺は席をたち、ベッドルームのクローゼットの下のほうをあさる。そこには散々苦労した挙句手に入れることができたあのクツが置いてあった。それを小脇に抱えてヨシカのもとに戻った。
「こんなこと言うとまた怒られるかもしれないけれど……、ホントは今日、そんな大層なことを言うつもりはなかったんだ。ここ最近お世話になったから、せめて誕生日プレゼントをあげられないかなって、そのくらいのつもりだったんだけどさ……」
 俺は、袋にはいっていたクツの箱を取り出しながら続けた。
「ほら前にさ、デパートで見てたときにかわいいって言ってただろ、これ。散々悩んだんだけど、あのときのクツにしました」
 ヨシカとクツを交互に眺めながら俺は続ける。
「でもさ、誕生日プレゼント買いに行ったときさ……ああスグルと一緒に買いに行ったんだけど、それがまた結構大変で……。いやまあそれはいいとして……。その間もなんだかいろいろヨシカのことを考えててさ。ずっと迷惑かけてきたっていうかホントつきあってからこっち、ずっと俺のことを支えてきてくれたんだなぁって、なんかそんなことをしみじみ思っちゃってさ。――思ったっていうか、思い当たったっていうのかな。だから、こう……なんていうかお恥ずかしながら、ヨシカと……これからも一緒にいたい、つまり――結婚したいなって。そういう気持ちがなんかこう出てきちゃったわけ」
 返答を考えているのか、それともまた思考停止してしまったのか。ヨシカはまだなにも言わなかった。
「いや、だからと言ってべつに急に思いついたとかじゃないよ。いつかはちゃんとしないとなっていうのはずっと思ってたし、それがたまたま……いやたまたまっていうのもアレなんだけどさ……。だから指輪とかじゃなくてあれなんだけど――。その、ヨシカさん」
 俺は改めてヨシカを見つめ、ヨシカの両肩をつかんだ。
「……はい」
「俺と、結婚してくれませんか?」
 ヨシカの目が少し赤くなっているように見える。いろんな考えがその瞳の中を右往左往しているのだろう。付きあってから5年。同棲してから2年。そこらへんの誰かとは比べるまでもないくらい同じ時間を過ごしてきた。その分、俺の悪い部分だってヨシカは沢山知っている。だから、もしかしたら、考えたくないことだけれど、ここで断られたり、返事を保留されることだってあるだろう。
 でもそれもまた仕方がないんだろうな。俺はそんなある意味悟りの境地のような気分だった。いろんなことを思いだして出てきたのは、ヨシカのいい部分だけじゃなくて、そのたびにあらわになる俺自身の頼りない部分だったりもしたのだから。
 だから、俺にできることは、質問を投げかけることだけ。どう判断するかはヨシカ次第だ。
 ――俺の頭のなかでいろいろ考えていたそんな時間は、かなり長く感じられたけれど、実際には一瞬だったのかもしれない。ヨシカのその少し鋭利な瞳がまばたいたのが見えた。

 そしてヨシカは答えを口にした。

          8


「おめでとう」「おめでとう」
 参列者からは口々に主賓のふたりを祝うことばが発された。教会の入り口を出て、赤いじゅうたんのうえを歩くふたりは、今日の空のように、どこまでも突き抜けた幸せそうな笑顔を浮かべていた。
 階段を一番したまで新郎が来る。これまでの人生のなかで一番幸せそうな顔をしているように思う。これまでにも何年も見てきた顔。新郎は――スグルだ。
 ヨシカの誕生日が終わり、しばらくしたころ唐突にスグルから連絡がきた。子供ができたから結婚するという内容だった。そのうえ、相手は例の美人局の子らしい。どうやらグルだと思った男は元彼であり、女の子本人にはだまそうとかそういう気はなかったとか。
 再会して、舌の根も乾かないうちに子供ができて、とにかくまずは結婚しようという運びになったらしい。
「まさかスグルさんに追い抜かされるなんてね」
 すぐ横にいたヨシカが俺に耳打ちをしてきた。履いているのはあの日、贈ったクツだった。
「ほんとうにね」
「報告はこっちが先だったのにね」
 そう、あの日、ヨシカは結婚の申し出を受けてくれた。それをスグルに報告したときは喜んでくれたし、同時に悔しがっていたのだ。俺だけ置いていくのかなんて言っていたのに、結婚どころか子供も先をこされるなんて思いもしなかった。
 彼女にクツを買うだけにしては、思いもよらぬ冒険譚になったと思う。ああもう"彼女"じゃないから、元彼女……かな。
「まあでもほんとヨシカが受けてくれてよかったよ。慣れないサプライズもしたかいがあったってもんだよ」
「……今更だけどさ? サプライズって難しいって知らなかったの? SNSとかだと大抵ダメって言われてると思うけど?」
「いや、そりゃそういうことは知ってたよ。知ってたんだけど……」
「知ってたんだけど?」
「その、――他に思い浮かばなくて……」
「はぁ……」
 ヨシカは深くため息をついた。
「ショウタのそういう流されがちなところがダメなんだっていつも言ってるでしょ。――ま、そういう性格だってわかってるけど。おかげでわたしなんだか目端が利くようになっちゃた気がする」
「本当にいつもお世話になっております。その、これからもよろしくお願いいたします」
「仕方ないなぁ……ま、そんなとこも含めてショウタだからね」
 拍手をおえて、下げていた右手を横からそっとつかまれた。ヨシカの左手の薬指には銀色の指輪が光っていた。 
 


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たけのこ
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)