教えてサンデル先生!
と言って教えをこうたところで、「さぁみんなで考えよう!」となるに決まっているトロッコ問題の話です。
先日、ツイッターでまた話題になっていましたね。
これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない。俺は傍観者だから放置して5人が死んでも責任はない。でも切り替えたら俺の責任になる」と言った生徒がいて衝撃を受けた。確かにその通り。「5人の人に感謝されるメリットよりも、1人の遺族に責められるデメリットの方が大きい」と。 pic.twitter.com/BU9tmtMnMU
— とある高校教師S (@hellohellock) April 11, 2019
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切り替えなければ5人の方にトロッコが突っ込む。
切り替えれば1人の方にトロッコが突っ込む。
さあ、あなたならどうしますか?
と、ちょっと前にサンデル先生のハーバートの授業が話題になった時に蒸し返されたヤツですね。
多分、私もこのツイートに出てくる生徒と同じく、『選択しない(選択出来ない)』という選択をする気がします。事象で言えば『切り替えない』方ですね。
どう転んでも恨まれたりするリスクはありますが、その方が後々自ら手を下したという意識に苛まれない気がするからです。
ツイート主さんは「驚いた」と書いていますが、こういう「選択しない」人も少なくないのではないでしょうか。(ちなみに、『「普通思っていても言わないことを表現してくれた」ことに対する驚き』なんだと、主さんは説明していました)
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ただ、これが『1人か50人か』だったら、多分私はスイッチを切り替えます。
「5人か1人か」の判断は付かないけれど、「50人か1人か」なら50人を選ぶということですね。数を突きつめたらどうなるんでしょう。エグいからやらないけど(笑 そして、仮に自分の大事な人がどちらかに居るのであれば、1人であっても必ずそちらを守ります。
まだありますよ。
探すと色々出てきますが、サンデル先生は他にも似ているようで少し違う質問を沢山しています。
自分は医者で、現在重傷患者が1人と中程度の傷を受けた患者が5人いる。
重傷患者にかかりきりになれば、その人は救えるけれど、残りの5人は助からない。逆に5人の方に尽力すれば5人は助かるけれど、1人の重傷患者は助からない。
さあ、どうしますか?
と、この場合であれば、私は5人を助けるでしょう。
つまり、『その場全体の責任を自ら持つかどうか』というところも判断の材料だということですね。仮に私が大統領なら、最初のトロッコ問題も迷わず1人を殺すでしょう。5人も1人も「選べない」というのは責任の放棄でもありますからね。
あと「自分が能動的に動かなければならないかどうか?」というのも、サンデルさんの質問の中にはありましたね。いやぁ奥が深い。
命を軽々ともてあそんでいるようで、考えれば考えるほど「自分は独裁者である」みたいな感覚にもなってきますね(笑 いやこれは笑い事ではないけれど。
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『物事の正解なんて、立場や状況によって変わってくるものである』
という事を考えるのにはいい教材ですよね。世の中「物事には何事も『正解』がある」と考える人も多いし。
「ここのAくんの気持ちはどんなものですか?」とか、勝手に正解を決めつけて正否を問うような授業するなら、議論して結局色々だねぇという結論になるだけでも価値があるのに。
議論され尽くされたであろう一つの設問で、未だにこんなに考えが出てくるんだから凄いもんです。
ちなみに私、ツベではサンデルさんの授業は見ましたが、『これから正義の話をしよう』は絶賛積読中なので、頑張って消化しようと思います(笑
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