価格と価値と求めるもの
「ブリキの木こりじゃん」という比喩はともかく。技術がわからない素人が絵を見ても仕方がない、という意見にはみなさん反論が多そうですね。
今回はこれを擁護してみましょう。
価格というか価値といってもいいと思いますが、こちらのサイトに寄れば、美術品の価格は、そのものの①美しさ×②革新性×③需給バランスで成り立つとのこと。
①単純に「美しい」ものは、素人目に見てもわかりますし、恐らく最初の発言の中には、わかりやすく大衆にも広く伝わりやすいもの(ラッ〇ンとかですかね)は、もともと除外して考えているということなのでしょう。
問題は一見しては美しいとかそういう一般的な価値観で判断できない絵ですね。世の中にはこういう絵の方も多いでしょうし、例えばピカソの絵とかを教科書で見たことのない人はいないと思いますが、あれを見て「美しい絵だ!」という感想を持つ方はあまりいないでしょう。
となると、ピカソの絵の価値は②や③から生まれるわけで、確かにこれは技術も背景も稀少性もわからない、いち素人が見ても何の価値も感じることはできない、ということになりますね。子供の落書きを見ているのと同じです。つまり見ても仕方がない。
キュビズムのものなどに関しては、かろうじて素人目にも革新性を感じることはできますが、「見慣れない変な絵だ」というあたりが関の山。実際に変な絵なだけなのか、革新的なのかは知識がないとわかりません。
「素人が絵を見ても仕方がない」というのは、真実と言ってもいい意見だと思います。はい証明終わり。
さあ、だいぶ擁護してみたから反論もしてみようか(笑
そもそも価値や凄さがわかるから絵を見に行ってるんじゃないんですよね。ラーメンの漫画にありましたが、ラーメン食いたくて有名店に行くんじゃなくて、提供される情報を食いにラーメン店に行く人も少なくないんです。それに有名店のラーメンを食べた、という事実(情報)が欲しいから行くのであって、おいしいかおいしくないかは二の次だったりもします。
「休日は絵を見に行きます」という発言を聞いたら、どう思いますか?高尚な趣味の方だな、博学な人なのかな?って思いますよね。そのイメージを買っているということも考えられます。話題性の高い展覧会なら、行ったということがステータスになったりもします。
絵を見に行くという行動は、単に絵を見に行っているわけではない、ということですね。そう考えると、ブリキがどうとかじゃなくて、とにかく視野が狭い。
ビジネスにおいても、一元的な価値だけを認識して、それしか追求しない状態は、足元をすくわれる可能性を常に意識しないといけませんね。
ちなみに絵に関しては何の知識も技術も見識もない素人の私ですけれど、個人的には、評価されてる絵は、実際に見るとなんとなく「おお凄そう」と思うことが多いと思いますし、それでいいんだと思います、そもそも基準なんてないしなーにエラそうなことゆってんだか。