帰ってきた支配者【ショートショート】【#16】
「おい!聞いたか!?」
バタンと大きな音を立てながらドアが開き、勢いよく酒場に男が入ってきた。ジェフリーだ。何があったか知らないが、やたらと慌てていることは間違いないようだ。
「落ち着けよ。何があった?てめえの女房が浮気でもしちまったのか?」
ひねた笑いを浮かべながら俺は聞き返した。まだまだ寒さの続く二月の始め。寒空の下、どこへ行くでもなく、酒場に集まるのが真っ当な男というものだ。
「バカなこと言ってんじゃねぇダグラス!あいつだよ!あいつがもう帰ってきやがったんだ!」
「あいつ……ってのは、おい、まさかあいつか!?いや、まさか!早すぎるだろ!まだ二月だぞ!なぁジェフリー、適当な事言ってると許さねえぞ」
「あのな、俺だって普段は朝から晩まで酔っ払って、テキトーふかしてるときだってある。だがな、憎っくきあのヤローの事だけは別だ!毎年デカイ顔して来やがって。いつまでたってもまともに太刀打ち出来ねぇ俺たちをあざ笑ってやがるんだぞ」
思い出すたびに悔しい思いが広がるのだろう。こめかみに浮かんだ血管が脈打っているのが見える。
「いきなり帰って来て、目につくヤツらを根こそぎ痛めつけてきやがる。どれだけ鼻や涙を垂れながして懇願しても何の慈悲もねぇ。殺しはやらねぇってだけで、黒死病みてえな疫病と何の変わりもねぇよ」
「ちくしょう!いい加減何とか出来ねぇのかよ。ヤツが現れだしてから何年たってると思ってやがる!誰一人、ヤツのことを擁護するやつはいねぇのに、誰一人ヤツを片付けられるやつがいねぇ。一生ヤツの言いなりに生きるしかねぇのかよ!くそったれ!」
俺は、思わず持っていたグラスを床に叩きつけた。ガキの頃からヤツの事は知ってる。それなりに年を食って、一通り悪事に手を染めた今となってもヤツには到底敵わねぇ。
それが悔しくねぇってやつが居たら、そいつはきっとどこかでタマを取られてる。
だが色々言ったところで、俺にだって、ジェフリーにだってわかってるのだ。
ヤツが来たら最後、結局まともに太刀打ちなんて出来ない事を。いいようにやらせておいて、また去っていくのをじっと耐えるしかないことを。
「……ははっ。なぁジェフリー昔は良かったな。もちろんヤツの影響は昔からあった。でも、気づかなければ知らずに済む。そうやって何も知らない方が幸せだったんじゃねぇか?そんな風に思うのさ。今となってはどこまでいってもヤツから逃れられない。手のひらで踊らされているようなもんだ」
「くそったれめ……。結局、この国から出るしかねぇってことなのかよ。全てを投げ打って、尻尾巻いて逃げれば満足だってのかよ……くそっ」
俺は、何も言い返す事が出来なかった。俺だけじゃねぇ。酒場にいる誰もが言い返す事が出来なかった。
誰一人、声を発するものはいない。
その時。
静まりかえるのを見計らったように、ゆっくりとドアが開く。
酒場にいた全員の視線が入り口に向かって注がれる。誰もが同じ想像をしていたはずだ。そして、その想像が当たっていない事を誰もが望んだはずだ。
だが、時として現実は残酷なものだ。
そこには『ヤツ』がいた。
一年ぶりに帰って来たのだ。これだけ嫌われても、なおこの時期に必ず帰ってくる。
それが自分の使命であるかのように、人々を見境なく苦悩の中に叩き落としにくる。それが生きがいであるかのように、俺たちをあざ笑ってゆく。今年もヤツが帰って来たのだ。
ヤツの名は『スギ花粉』。
この国の影の支配者だ。
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