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大勝の代償とゆがんだ時間【ショートショート】【#188】
「自分に理解できないことは起こりえない……、などというのは非科学的というものじゃろう?」
老婆はそういいながら、曲がった腰をかばうようにゆっくりとベットに腰をかけた。
「だいたいお前さんにも理解できないことは沢山あるじゃろうて。若者どもがこぞってインターネットに顔出しし、どこからか借りてきた安っぽい音楽に合わせてうまくもない踊りを踊りちらかしているのとか見ると『最近の若者はわからん』と思うじゃろ? 違うかい?」
俺は老婆のもつ謎の迫力に圧倒され、質問に答えなければならないという頭になっていた。
「……それは、まぁ確かに。俺には理解できない。仮に20歳若くても俺なら絶対にやらないと思う」
老婆の肩下まである髪は脱色をくりかえしたせいか、枯れはてた干し草のようだった。老婆は笑いながら話を続け、その髪が笑うたびにゆれていた。
「時代が違うとはいえ、ああいう子らはいわゆる『陽キャ』じゃからの。お前さんが若いころ陽キャだったようには到底見えんがの……」
老婆は持ってきたカバンから手鏡と口紅を取りだす。慣れた手つきで左手で鏡をもち、自らの乾ききった唇に紅をはわせた。
「なんにしても――、自らには理解できなくても存在するモノはあるということじゃ。時空のゆがんでしまった、この部屋のようにの……」
そう。この老婆はさっきから「この部屋は時空が歪んでいるせいで、時の流れが他の場所よりも圧倒的にはやい」と主張していた。そんな奇想天外な主張を「カラスが水浴びをしたら雨がふる」とでもいうかのように、なんの気負いもなく言ってのけているのだ。
相変わらず老婆のペースに巻きこまれているのを感じながらも俺は反論をこころみた。
「いや待ってくれ。いくらなんでもそんな話、荒唐無稽だってことは俺にだってわかる。大体それはどんな理屈なんだ? どっかの科学者が盛大に実験に失敗でもしたっていうのか?」
「フォッサマグナじゃ」
「……フォッサマグナ?」
「そう、フォッサマグナじゃ。フォッサマグナがこの部屋のちょうど真下を通っておるのじゃ。それだけではないぞ。太平洋プレートとフィリピンプレート、それに北米プレート。ここはこの3枚のプレートとフォッサマグナが重なるクアトロポイントなのじゃよ。互いの持つ地質学的磁場が互いを干渉しあい、いつしか奇跡の時空空白ポイントを作り上げた。それがこの部屋じゃ。時間が早く進む程度のことは起こるべくして起こっているのじゃ」
老婆から聞きなれない言葉がたくさん飛び出したせいで、俺はまたも気圧されてしまった。
「その……じゃああんた、さっきから時間がすぎるのが早いって言うけどさ。それ、いったいどのくらいだっていうんだ? 倍くらいか? それとももっとなのか?」
「――おまえさん、わしがいくつに見える?」
老婆は右手でカサカサに乾いた髪の毛をかきあげ、挑発的にこちらを見つめた。クリーム色のワンピースを着てはいるが、どう見ても孫の衣装を借りてきたようにしか見えない。
「そりゃあ……70歳とかそのくらいだろ」
「21じゃ」
「嘘つくなよ!」
「嘘ではない。わしが働きだしたのは2年半ほど前。まだ18の時だったでの。この部屋に何度来たかは覚えておらんが、もし70に見えるというのであれば……そうじゃの、だいたい1年で20年分くらいの時間が過ぎていることになりそうじゃの」
「バカバカしい! 証拠見せろよ。証拠を。なんかあるだろ?」
「わしは免許証とかはもっとらんでの。今の身分を証明できるものはない。が……古いもので良ければあるぞ」
そう言いながら老婆はまたカバンをあさりはじめた。取り出したのは近くの都立校の学生証。高校3年生。名前は老婆がさきほど名乗った名前。卒業から3年たっているとすると、記載された生年月日もさきほどの老婆の証言と合致していた。そして、そこにはもちろん老婆ではなく、女子高生らしい粗雑なメイクと若さを備えた金髪の女の子が写っていた。
俺は老婆と写真を見比べる。――確かに似てはいる。髪型と色は同じだし、この写真の女子をしわしわにして、髪をやせ細らせ、みずみずしさを抜き去ったらこの老婆になるかもしれない。そう思える程度には写真と老婆は似かよっていた。
この女子高生が目の前にいるこのしわくちゃな老婆だって? いや、いくら何でもそんなことがあるはずがない。しかしこの老婆のあまりにも平静とした態度はなんなのか。何本ものしわが刻まれた口から放たれる言葉の説得力はなんなのか。頭では信じたくはないが心では信じなければならないような、そんなオーラを眉間に押しあてられ、左右に振り回されているような圧迫感がそこにあった。
科学的なのか非科学的なのか、とにかく俺の理解力を軽く凌駕する情報量が流れこんでおり、もはや半分思考停止状態におちいっていた。
最初こそ鼻で笑っていたものの、だんだん自分が間違っているのではないかという思いが頭を侵食してくる。喉元まで出てきている反論が一向に声にならない。もはや老婆の言葉が正しいかどうかではなく、世の中全体がおかしくなってしまったのではないかという観念すら湧きあがってきた。
なぜ俺はこんなところに来てしまったのか。ひさびさにパチンコで大勝ちしたのをいいことに、これまで行ったことのない風俗に足を運んでみようなどと思ったのがいけないのだ。嬢が写真と全く違っていて不細工や太っているくらいならよくあることだ。しかしよもや老婆が出てきて、自らの常識を疑うことになるなどまったく考えもしなかった。
思考がグルグルとめぐり続け、回路が焼き切れるような感覚がする。そのまま言葉を発することもできず、ただ目の前の老婆がにやにやと笑っているのが視界にはいっていた。
――次の瞬間。
ベットわきに置かれた時計が、けたたましくアラームを鳴らした。
「おや――、もう時間のようじゃな。最初にきちんと説明させていただきましたようにアラームがなったらプレイ時間はおしまいじゃ。名残惜しいかぎりですが、おまえさんは嬢のチェンジもせずに時間をすべて使い切っておる。通常料金6万円はきっちり頂戴いたしますからの。こんなババアとおしゃべりして6万ではちと高いかもしれんが、約束は約束じゃからの……」
老婆は俺に断ることもなく俺の荷物をあさりはじめた。声をかける暇もなく勝手に財布をから紙幣を取りだし、一枚二枚……と数え出している。
「ああちなみにじゃが……、わしはもう70を超えとるぞ。それにもかかわらず、わしはこれでもこの店ではなかなかの稼ぎ頭での。いわゆる売れっ子じゃな。若さなんぞ関係ないものじゃの。――学生証? ああ、これは孫のやつじゃ。お年玉の代わりに失敬させてもらったんじゃよ。――どうじゃった。時間は飛ぶように過ぎさったじゃろう?」
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