俺は逆バリストなのか
暇があるとTwitterを見るのが癖になっていて、いつもやめたいと思っている。
通勤や仕事中はもちろんのこと、朝起きた時、夜中に目が覚めた時、ふとした時にiPhoneを開いてはそのまま1時間ほどタイムラインをさかのぼってしまう。
といって、つぶやくことはほとんどない。昔でいうROM専というやつだ。
それでもごくごくたまに年に数回書き込む時は、よほどうまい事を思いついたか、ごく内輪の友人に向けたおもろのシェアくらいだ。
そんな俺でももやもやして何かを世の中に発信したい、そうじゃないだろうと声高に叫びたくなることがある。それもまあまあ結構な頻度でそんな時がある。
その原動力となるのがいわゆる「逆張り」精神なのではないか、とつい先ほど思い到った。
「逆張り」とは俺の解釈では一般論やある議論において優勢な言説に対して常にその逆の論を唱えること、少数意見のほうに加担すること。
そしてその内容、論拠がもはや二の次になり、単に「逆の意見を言う・反論する」こと自体が発言のモチベーションになっている状態・人のこと。
つまり「逆バリスト」というレッテルが誰かに張られた場合、そいつには己の内から湧き出す主義・主張、文化的政治的ポリシーに一貫性がない、ただ議論したい・目立ちたいだけの嘲笑されてしかるべきものと認定されたのだと言えるだろう。
そこでこのnoteのタイトル/アカウント名についてである。
俺がSNSを通して日々感じているこのもやもやした発言・主張・論破欲求が悲しくもこの「逆張り」精神からきているものなのか、それとも俺の期待・希望通りに、ある程度一貫した内なる信条・考察から来ているものなのかを客観的に判断するための第一歩として、このnoteに書き出していこうと考えたのだ。
俺は悲しき「逆張り野郎」なのか。ただ精神的に幼稚なだけの「あまのじゃく」なのか(もっと適した性格分析用語やネットスラングもありそうだが)。それとも思慮深く優れた観察眼と洞察力を兼ね備えたオーマの如き存在なのか、それを見極めようとするものである。
なお「逆バリズム」というアカウント名は、日本を代表する優良音楽レーベル「カクバリズム」からその素敵な響きを拝借したものである。だと思ったよ、まあそうだろうね、てかそれ以外にあんの?という方には、同じ世界の住人が皆さんに向けて書いているものととらえて気軽にご意見をもらえるととてもうれしい。
「カクバリズム」?、初めて聞いた、という方は違う世界にはこういう奴もいるんだな、とスルーしていただければ幸いだし、もしも「ゴーマニズム宣言」をまず最初に思い浮かべた方がいたら、おそらくその方の役に立つ情報や共感してもらえるものは多くないので同じくスルーしてもらえると幸いです。
(免責)このnoteのエントリーは誰かに読んでもらうための努力と推敲をさぼって書いています。あくまで自己診断のための参照用アウトプットとして。なので「何が言いたいかわからない」「矛盾してる」「文章が読みずらい」などは大目にみていただけると幸いです。
そして「逆張り」検証と関係のない、日々の思い付きや感想文なども随時UPするので、それに関しては全然逆バッてねーじゃねぇかという批判は当たりません。
と、これで終わろうと思い、文字だけだとあれだしなにか逆バっている画像でも張るか、とググったところ、出てくるのは投資のテクニックとしての「逆張り」ばかり。
ちょっと肩透かしを食らった気分だが、ちらちら見た限りではもし俺が投資家だったら間違いなく「逆張り」派だろう、(そして専ら裏目に出るだろう)と瞬時に思えたので、これが今後ひとつの考察のベースとなるかもしれない。
仮に語源的な意味では「逆バリスト」傾向であったとしても、思考回路・議論癖がそうであるとは限らない。このnoteはそれを立証していく旅となるのかもしれない。
違うかもしれない。