サンタクロースとは
こんなtogetterがバズっているのを見た。
サンタが来ない家のこども 書き手 が、弟のためにサンタのふりをして毎年プレゼントをあげ続け、近所の書店のおばあさんがそれとなく商売抜きでサポートしてくれていたことに大人になって気付いた。おかげで弟は長い間サンタクロースを信じることができた。感謝。
サンタクロースをこどもにできるだけ長く信じていて欲しい、というのは誰の望みなんだろう。
こどもにとって?、ではないだろう。サンタクロースを信じていないとプレゼントがもらえない訳でもなく、じいじばあばはサンタのふりをせずクリスマスだからとプレゼントをおくってくるし、なんなら親と一緒にトイザらスのバーゲンに行ってる。
大人たちには、こどもにはいつまでも無垢な心でいてほしい、という気持ちはあるだろう。それはこどものためではなく、自分のためだ。
件のエピソードのおばあさんはこの普通の大人として、幼いこどものピュアな責任感を意気に感じたのか、憐憫の情なのかは知る由もないけど。なにかしら人助けの気持ちだったのだろう。ひまな店番をする日々の中で、ひときわ輝く気持ちのいい出来事だっただろう。
皮肉が言いたかったわけでも、自分語りする人や美談に反応する人たちを揶揄するつもりもなかった。
こどもたちはサンタのメッセージカードにサンリオのロゴを見つけて真実を知る、言う人がいて、なるほどと思うと同時に、今年すでにクリスマスに先んじてじいじばあばがくれたものと、こどもと一緒にトイザらスのバーゲンにで買ったものが高価でより子供の希望に沿ったものであって、サンタクロースからのプレゼントは親の意向を反映して、キャラクターものを排除し、慎ましく地味ながら全く喜ばなくはない程度に子どもが好きそうなものを選んでいるため、クリスマス当日の派手さがあまり無くなってしまっている現実。
それに対してクリスマスの朝、ツリーの前のプレゼントに大喜びして
サンタクロースほんとうに来たんだ!すごい!ねえママ!
とピュアに喜ぶ5歳の娘の声を聞くパパとしての幸せに想いを馳せている。