知の探索と知の深化の問題にぶつかりました
「こうし」と打って漢字変換しようとすると、かなりたくさんの候補が出てきて勉強になりました!ホイットニーです。
昨日、はっとさせらたことがありましたので、記載します。
先日僕はとあるクライアントから新規で動画を編集するお話を頂きました。
クライアントは、期待を込めて発注を考えてくださっており、僕も直接お会いできたことで、彼の心境を理解することができました。
そして、いい仕事をこの人としたいと思うに至りました。
こうした経験は僕にとって珍しいことではなく、ジャッキーチェンの映画を見たらすぐに真似したくなる性分なので、感化されやすいんですよね。
いい仕事にならないケースもありますが、反省する能力に乏しく、やっぱりいい仕事したいなぁと思っちゃいます。
なんというか、仕事を通じてクライアントとの関係を密にしたい。友達になりたい、みたいな感覚。
打ち合わせで、1つの動画を編集することとなり、メンバーに委ねました。
この時、僕はしっかりと僕の感情や考えを伝えるべきでしたが、なんとなくフワッとしてしまったことが問題となりました。
委ねられたメンバーは、予想以上に早く仕上げてくれ、完成物を僕に見せてくれました。
僕はそれをみて唸ることとなります。悪い意味で。
全然良くないのです。
赤ペンを入れながら見ていたのですが、これはもっと根本的な問題かもと思い、メンバーと話をすることにしました。
そこで愕然としたのです。
普段、仕事を作業としてこなした場合、思考はどんどん止まっていきます。
例えば僕は昔ピザを作る仕事をしていたのですが、ピザの作り方を一通り覚えたら、たんたんと機械のように作るだけの毎日になりました。
ピザ屋さんとしては、
「お客さんに美味しいピザを食べさせて、1日を幸せなものにしたい」
という願いがあると思われますが、僕にはありませんでした。
なんなら、客も一つの歯車で、お金はその潤滑油。客の顔も名前も知るわけがありませんでした。
そんなピザ屋にいて仕事が楽しいわけはありません。というか、仕事に楽しみを求めていなくて、スタッフとおしゃべりした思い出が多く残っています。
こうしたことは、どこの世界にもある気がします。
ピザをクオリティ下げずに作っているからいいじゃないか、という主張。
まさにそうなんです。ピザをクオリティ下げずに素早く作る人が欲しいからバイトとして僕は雇われたのです。
具体的に言うと、ピザ職人ではなく、無能な僕を雇ったのは、クオリティを下げずに素早く出す仕組みが存在していて、並べるだけの労働力が必要だっったのです。
そんな役割なら僕じゃなくても構いません。並べられるのなら誰でも良いんですね。
仕事とは細分化して分業していくと、効率的になりコストダウンも可能になり、経営サイドは生まれた余剰からさらに良いものを作ることが可能になります。
アダムスミスも「分業した方が効率がいい」と言っています。
その功罪として、考えを止めてしまい、やりがいや生きがいを奪ってしまいます。
デザインの始祖、ウィリアム・モリスはアートアンドクラフツ運動でこの産業構造と戦っています。
非常に大きなジレンマで解決はされていない問題の一つと言えます。
僕らの会社にもそれが起こっていて、仕事は綺麗にこなしてくれるのですが、メンバーからやりがいと生きがいを奪ってしまっていることに愕然としたのです。
新しい取り組みには、前例がありません。
前例がなければ、自分の過去の経験をデータベースにして、活用しなければなりません。
過去のデータベースが、ただ並べるだけのものしかなかったら、活用も何もそれなりのものしか出来上がらないのです。
僕は彼に「もっといいものを作ろうと思え」と伝えましたが、残酷だったとその後反省しました。それでこの文章を書いています。
何が残酷かって、それまでの並べるだけでOKと言っていたのに、それをやったら、美味しいピザを作れ!と叱られたのだからたまったものじゃありません。
知の深化と知の探索という考え方があります。
ビジネスはスタート時にノウハウがありませんので、知の探索を行います。要するにやり方を探すのです。
やり方がわかったらそれを深掘りして、より効率良くします。それが深化。
この二つの取り組みには危険な罠があって、企業は概ね深化に囚われると言うことです。うまくいったら探索をしなくなるんです。
成功体験が致命的な失敗につながるんです。
どういうことかと言うと、ピザをたんたんと作って売れていく仕組みが出来上がり、お客さんも来るし利益率も良い状態になったとします。
そこにラーメンブームが起きて、お客さんが取られてしまいました。
深化に囚われた企業は、お客さんが来ないことを焦り、もっと効率良く並べて「早いですよ!」「安いですよ!」をアピールするんですね。
過去、それで成功したからこれを再現しようとするんです。
ラーメンブームのことを認識したとしても、探索はせず深化をしてしまう傾向にあるんです。
探索が出来る会社は、ラーメンピザを考えてみるかもしれません。どこかのラーメン屋とコラボしてクーポンを配ったりするかも。
環境が変化しているのにその場に立ち止まるのは、死の危険があるのです。コロナでほぼ全ての企業がこの問題に向き合うことになったでしょう。
僕らは今まさに、深化に囚われて探索が出来ていないことに気がつきました。
どうしたら、探索が出来るのか。
どうしたら、これからも深化と探索を両立できるのか。
どうしたら、メンバーがやりがいと生きがいを見出せる仕事になるのか。
ビジネスの歴史から学ぶと、役割を分けることにありそうです。
Amazonのジェフベゾスは、役職者の最も大切な仕事は重要な判断を下すことにあると言っています。
ピザを並べることではないんです。
ピザを並べることが重要でないと言っているわけではありません。人の上に立つものならば、ピザを並べることは他に出来るメンバーに任せて、重要な判断と向き合いましょうと言うことです。
そうして一人一人に役割があって、使命感を感じられれば、やりがいや生きがいを取り戻せそうです。
並べる仕事のメンバーは正直言って誰にもで出来ます。
そのこともメンバーに伝えた上で、それが重要であり必要であると感じてもらわなければなりません。
また、並べるメンバー(深化担当)も重要な決断を下すメンバー(探索担当)を認め、互いの役割があるから仕事が成立することを感謝しなければなりません。
決断することは強いストレスがかかるので、必ずしも全員がそれをしたいわけではないと思います。
その場合は深化担当の方が良いんです。
この文を読んだメンバーは、もしかすると出来ていない自分を「申し訳ない」と思うかも知れません。
僕自身も懺悔の気持ちからこの文章を書いているので、その思いが伝わるのは覚悟の上です。
僕らは今、探索の旅に出なければなりません。
だからこのことに気付けたのです。
そこはネガティブに反省するのではなく、いま気付けて良かったと解釈し、改善しつつも、やはり旅に出ます。
ストレスを無くして働くことと、楽しく仕事をすることは別物ですね。
より美味しい並べ方をしようと思って並べる人が、楽しい仕事をするような気はします。