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損するのが怖いのは

「どうしたらいいか」
「どうすべきか」
で迷い
先に進めなくなったときは

根っこの部分に

「どうしたら損しないか」
がいつもある気がする。

損をしないことが正解だと

そういうロジックが
働いている気がする。

損か
得か

で考える癖がつくと
いつも判断基準は

損か
得か
になる。

なにを選ぶのも
なにをするかも
どこへいくのも
誰と会うかも
誰と過ごすかも

ぜんぶ
損か
得か
で考えるようになる。

そうするうちに
なにを手にしても
どんな結果になっても
目の前の現実を楽しめないし
本当の喜びというものから
どんどん離れていってしまう。

いつも気になるのは
「損をしないかどうか」だけ。

これはこれで
ひとつの選択であり
ひとつの人生。

でもぼくは
こういう判断基準だけで生きるのは
やっぱり嫌だな。

こうなったら
こういう癖がついたら
本来の判断基準への軌道修正が必要。

好きか
嫌いか
やりたいか
やりたくないか
こっちの判断基準に戻していく必要がある。

そもそも
損か
得か
で考えるということは

恵みや
豊かさというものは
有限であって
自分は中々手にすることはできない

手にしたものも
一度手放すと
そう簡単には戻ってこない
という考えがベースにあるんだな。

つまり
自分は
恵みや
豊かさを
存分に受け取る価値ある人間なんだ
とは思っていないということ。

「どうしたらいいか」
「どうすべきか」

で迷い
先に進めなくなったときは
根っこの部分に
「どうしたら損しないか」
がいつもある気がする。

自分はなにに迷っているのか
なにを怖がっているのか
判断基準はなんなのか

自分と対話すべき
タイミングなのかもしれないね。





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