拗ねる

「自分は評価されていない」

そうやって悩んだときは
根っこの部分には大抵
「どうせ自分なんか分かってもらえない」
と拗ねている自分がいる。

そうやって元々拗ねているもんだから

他人の目や
評価や
コメントなんかがいちいち気になるし
反応する。

「どうせ自分なんか分かってもらえない」
と思っているから

「ほらやっぱり」
という現象ばかり集めるし
目にとまるし
そういう風にしか捉えられない。

「拗ねる」ということは
ほしいものが貰えなかったり
大切に扱って貰えなかったり
そうやって心が悲しんでいる

ということなんだけど

本当に拗ねていると
「自分が拗ねている」ということを
どういうわけか認めたくない。

ただ
根っこはあくまで「拗ねている自分」なので
時間がかかっても
先ずは「ああ、そうか。自分は拗ねているんだな」
そうやって
今の自分を受け入れていくほかない。

これは
覚悟もいるし随分と時間のかかる作業だ。

だって自分のコアな部分であり
核心を突くことであり
触れたくない世界だからね。

「自分が拗ねているだけ」
なんて
まるで自分の「負け」を認めるみたいじゃないか
そんな風に感じるかもしれない。

それだけ「拗ね」ってのは厄介で
面倒くさいし
強烈なパワーをもっている。

だからこそ
向き合う価値があるんだ。

だからこそ
向き合うべきなんだ。

「拗ね」から解放されるだけで
今まで一体自分はなにをもがいていたんだろう。

そうやって
一気に世界がひっくり返るから人生ってのは面白いんだな。





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