それは誰の問題なのか?
カウンセリングや心理学を学んだりすると、
「公開カウンセリング」といって、
クライアントとカウンセラーが
その他大勢の前で、カウンセリングをしたりする。
ぼくは過去にそれ受けたこともあれば、
第三者の立場で、それを見てたこともあるんだけど、
クライアントの中で、
大抵数人はこういうタイプの人がでてくる。
「分かりました、先生。
とてもいい話を聞いたので、
今度子どもを連れてきてもいいですか?」
「凄くためになりました。
この話旦那にも聞かせたいので、
今度連れてきてもいいですか?」
こうやって、
自分ではなく他の誰かを連れてきて、
その話を聞かせたがる人が、大抵数人はでてくる。
勿論、
いい話を聞いたり、感動したり、
「あ、これいいな」と思えば、
他の誰かにも聞かせたくなるのは分かるし、
他の誰かにシェアしたくなる気持ちもよく分かる。
それは人として自然なことだし、
別に悪いことじゃないと思っている。
でもね、
殆どの場合、他の誰かを連れてくる必要はなくて、
ていうか、
そもそも、他の誰かを連れてきたところで、
そのクライアントの状況は何も変わらなくて。
というのも、
「今度○○を連れてきていいですか?」と聞く人は、
その「○○」の今の状態を、
「問題だ」と思っていることが殆どで、
問題だと思っているから、
このカウンセリングの場に連れてきて
何とかしたいと思っているが殆どで。
だから、
「連れてきていいですか?」と、こうなるわけだ。
でも、
じゃあ当の本人が、(子どもとか、旦那とか、)
自分自身の今の状態や今の環境を「問題だ」と
思っているか?と聞くと、
これまた殆どの場合、答えは「NO」なんだ。
別に、
子どもや旦那が今困ってて大変だから、
頼むからカウンセリングに連れて行ってくれと
願っているわけではなく。
勝手にその人が、
子どもや旦那を問題視して、
連れてこようとしているだけなんだ。
だからこういう場合、
カウンセラーの多くは(つーかほぼ100%)は、
「いや、連れてこなくていいですよ」と言う。
だって、
その子どもや旦那は何の問題もないと分かっているから。
そのクライアントが、
勝手に何とかしなければと思い込んでいるだけで、
そこにそもそも「問題」なんて存在しないと
分かっているから。
大切なことは、
なぜ誰かを見て、
いちいち「問題だ」と思ってしまうのか?
なぜ誰かの状態を見て、
いちいち「何とかしなければ」と思ってしまうのか?
クライアントが本当に意識を向けるべきは、
こっちの方なんです。
てか、
ここに自分が気づかない限り、
自分の周りからは「問題」や「問題のある人」は
死ぬまで消えなくて、
一つ消えても、
また新たな「問題」や「問題のある人」がでてくる。
自分の中に「問題発見くん」が住みついている限り。
だからもし、
何かの公演を聞いて、
「ああ、これ○○にも聞かせたいな」と思ったら、
何かの本を読んで、
「ああ、これ○○にも読ませたいな」と思ったら、
何かの研修を受けて、
「ああ、これ○○にも受けさせたいな」と思ったら、
その根っこには、
本当はどういう思いや願いがあるのか?
ここをちゃんと確認することです。
「○○のために」とか何とか言いながら、
本当は自分が勝手に、
今のその人やその人の状態を問題視して、
勝手に「何とかしなければ」と思い込んで、
自分の勝手なエゴで相手を変えようとしていないか?
ここをちゃんと確認することです。
そのことで「困っている」のは一体誰なのか?
そのことを「問題だ」と思っているのは一体誰なのか?
そのことを「何とかいなきゃ」と思っているのは一体誰なのか?
この思いの所有者が、なんとかすればいい話なんです。
当の本人がそう思っていないのであれば、
それは本人は何の関係もありません。
自分が勝手に騒いで、問題視して、不安になっているだけですから。
ここをちゃんと理解して、認めることです。
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