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好奇心と義務感

自分でやりたいと思ってはじめたことも
最初は楽しくやっていたけど

だんだんつまらなくなってきて
だんだん苦しくなってきて

「やりたい」から
「やらなきゃいけない」に変わっていき

そのうち
それをみたり
考えたりするのも嫌になり

あんなに好きでやってたのが
嘘のように思えてきて
ネガティブな印象しかもてなくなる。

こういうことが
生きているとあるもんだ。

こうなったときの根っこにあるのは
大抵
人の評価や
人の目や
人の期待値や
人からどう思われるかだ。

最初の頃
純粋にそれをやりたいと思って
楽しんでいたときには
そもそもこういう
人の目や評価は気にしてなかった。

あるのはただ
「それ」と
「自分にもできるんじゃないか」という
ピュアな好奇心だけであり
周囲も自分に対してなんの期待もしてなかった。

それが
たまたまやってみたら
できてしまって

「すげー」と言われたり
チヤホヤされたり
もっとできるんじゃない?と期待されたり
センスあるねと持ち上げられて

気がつくと
自分の「あたり前」のラインが
周囲からの期待とともに上昇し

「できる」があたり前になって
「できない」はあり得ない状態となった。

こうなると
もうあの頃のように
純粋に自分がやりたいから
楽しみたいから
というだけでそれをやるのを
周囲が許さなくなる。

少なくとも
自分自身はそう感じてしまう。

好奇心は
義務感へと変わり
義務感はプレッシャーに変化し
プレッシャーは苦痛になり
苦痛はエネルギーを奪っていく。

そして
考えるようになる。

ああ、もうこれをやめたい
苦しみから開放されたい
もう手放して
心安らかに
穏やかに生きていきたい。

勿論手放すのは自由だし
最終的に決めるのは本人の選択だ。

ただ
このとき中々決断できなかったり
手放したいのに
手放せない自分もでてくる

なぜか。

それを手放したら
まわりをがっかりさせるんじゃないか

それを持たない(やらない)自分には
価値がないんじゃないか

誰も今までのようの
「すげー」と言ってくれないんじゃないか
チヤホヤしてくれないんじゃないか
かまってくれないんじゃないか
そういう恐れがでてくる。

この恐れは強烈だ。

今まで
できないのがあたり前で
できなくても
できないなりに幸せに暮らしていたのに

一度「できる人」と認知されてしまったがために
なんとしてでも
そこに留まらなければ
そういう思いがでてくる。

ただし
自分らしく生きたいなら思うなら
本当に自分ならではの人生を生きたいと思うなら

周囲の期待を裏切ってしまう自分を許すことだ
周囲をがっかりさせる自分を許すことだ
周囲にダメなヤツと言われる勇気をもつことだ。

できない自分
周囲の期待に答えれなかった自分
周囲をがっかりさせた自分

そういう自分をみて
離れていく人もいるかもしれない
喪失感に包まれるかもしれない。

しかし
人生は
ずっと右肩あがりで
でき続けて
勝ち続けて
ずっとヒーローでいれるわけじゃないんだ。

また
そもそも
「できる自分」だけを好きな人と
これからも一緒に時間をともにしていくのかという話だ。

人生の土台に
「人の期待」を置いてしまうと
気がつくと
人の期待に答えるために生きはじめる
そっちの方に向かいはじめる。

だから
ときには勇気を持とう
周囲にダメなやつと思われる勇気を持とう
周囲をがっかりさせる勇気を持とう
周囲に「できない自分」も認知してもらう勇気を持とう。

それでも
繋がっている人たちこそが

自分にとって
本当に必要な人ではないか

ぼくはそう思うんだ。





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