1日ぶりのnote
一ヶ月以上毎日書き続けたnote、昨日書かなかったから記録が途絶えてしまった。少々もったいない気がしたので無理やりにでもなにか書こうかと思わなくもなかったけれど、そんなことすることないよなと潔くやめた。ちなみに昨日はカレーも食べなかった。5月7日から毎日なんらかのカレーを作って食べてきたからこの記録も途絶えた。人生そういう日があるのも当然だよ。
昨日はとても疲れた。人と関わることが疲れるのは自分の知性の低さによるものだという確信が強くなってきて、それもしんどい。今生は知性の獲得に身を捧げて終わるしかない。
そもそも人ははじめからそのようにして生きていくものなのでは?私は自分の身を以てそれに気付けたのが遅すぎたのでは?と思わずにはいられない。めちゃめちゃ恥ずかしいけれど、だからといって恥から顔を背けたり俯いたりして生きるのは本意ではない。しんどいけど己の恥ずかしさに直面して生き続けなければならないのだろうな。
なんのこっちゃ。
今朝は今朝で、ま〜〜〜疲れた。大事件が起こった。昨日の疲れの余韻を引きずりながら熱いコーヒーを飲んで目を覚そうとしているところにそれは起こった。起こってしまったからには対処する以外に道が無い。それをできるのは自分しかいない。なんなんだろう、一つのことを飽きるまで何にも邪魔されず考え続けたくても、生きている限り刻々と新たな事象が発生し続けてとどまることをマジ知らない。溺れないように必死になっていたら自分は歳を取りすぎてしまった、みたいなことめっちゃあり得るな。そういう暗示かな。
自ら明確に食べたいと思えるものがサンバルしか無いので、迷わずサンバルを作った。当たり前のことなんだけど、美味しいトマトで作ったサンバルは格段に美味しくなる。トマトとタマリンドとツールダルのあらゆるうま味と甘味と酸味を網羅したトライアングルに各種スパイスの彩りが加わり、それらを塩がブーストする。私は何を言っていますか?分かりますか?とにかく美味しいんだよ…(疲れ)
全然話が変わるけど、覇王の家の上を読み終えて今から下を読み始めます。歴史音痴でもぐいぐい読み進められてすごいありがたい…上巻を読んで、家康が義父にどことなく似ているなという感想を持った。文中に見られる三河と尾張の考え方の違いとか、酒井忠次的近所の老人たちとか、野望を抱かず地盤を固めるところなど。下巻を読めば家康と義父の大きな違いが分かるのかもしれない、とワクワクしている。もしかすると天下人の素質をそのまま持っている一般人こと義父、ということもあるが。
パンを焼くために使わせてもらいます