近況、夏から秋になる途中の雷雨の日

この前の近況を書いた日から今日までの最新近況です。

観た映画は“島々清しゃ”と“実録 連合赤軍 あさま山荘への道程”と“タイヨウのうた”の三本です。あと、映画じゃないけど宇多田ヒカルの“HIKARU UTADA Live TOP  FAN PICKS”も観ました。

“島々清しゃ”は「しまじまかいしゃ」と読み、沖縄の民謡なんだって。即興でセッションできるくらい楽器ができたらめちゃくちゃ楽しいだろうな〜。

“実録 連合赤軍〜”、結局観た。前回の近況で重いから観なかったと書いたけど(過去に観たことがあるので内容は知っている)、“突入せよ!あさま山荘事件”は警察側の視点であるのに対して、“実録〜”は犯人側の内情が描かれているのでまるで違うしやっぱり観ようと思って観た。

じいちゃんばあちゃん(上記の事件があった頃に私と同じくらいの年齢)と話をすると時折感じる“日本(や日本の社会)を作ってきた”みたいな自信?自負?みたいなの、私や私の同年代からは感じたことない。(ここまで書いて「そりゃそうか。私の世代はまだ若いし、彼らも若いころは理想と現実にもがいてきたのか。」という気持ちになりました。)

こういう社会にしていきたい!って声や運動はよく見かける(し私と同年代の方々が声を上げていることが多くてすごいと思う)けど、じいちゃんばあちゃんの年齢くらいまで経れば自信や自負に繋がる未来はあるのだろうか。じいちゃんばあちゃんたちは明るい未来があることを知っていてやっていたとこがちょっとあるみたいなんだよな(会話の節々に感じられる)。でも今は明るい未来があることを前提になにかをする、なんてできなくない?

昔は明るい未来が単純明快で同じゴールに向かってみんなで走る!で良かったけど、今は何本もゴールフラッグがあってみんなそれぞれの旗に向かって走っていく感じだし、みんなで力を合わせて!やりましょう!みたいなノリだけではうまくいかない気がする。せめて他人の進路妨害をしないとか、そういうのが当たり前になれば良いな。

“タイヨウのうた”は昨夜観た。YUIのやつです。私はYUIの歌声が好きなのでもっと歌ってくれ〜と思ったけど、まあこれだけ歌ってくれれば多い方か。あと、人が死ぬ映画を観ると大体泣いてしまう。それ死ぬ必要ある?ほんまにあるんか?ある…か???

観終わった後に今YUIなにしてんねやろ〜と思って調べたらめっちゃ出産しててすごいなと思った。私はひとり産んだのち、もう妊娠も出産もできない…となったし、二人以上子供を育てたり一緒に暮らし過ごす人が増えることを(少なくとも今に至るまで)考えられないでいる。今はもうそれについて悩むことはなくなったけど、出産後結構長い間辛かった。

“HIKARU UTADA Live TOP  FAN PICKS”は一ヶ月アーカイブを残してくれるみたいで、夜9時となれば大体寝ている私にとって本当にありがたかった。時代ごとの衣装や演出を見るのも面白かった。

全然話変えるね。

北海道の親戚からとうきび24本とトマトとミニトマトとナスとピーマンと南瓜と玉ねぎとじゃがいもが送られてきて、とうきびを送ってくれるってのは聞いていたけどその量!他の野菜も合わせてすごい量!でびっくりした。

とうきびは蒸すのと茹でるのとチンするのを駆使したけど午前中まるっと使った。生で食べても味が濃くて甘かったけど、やっぱ火を通した方がうまい。あと私の親戚が作る野菜、全部うまい。

お昼にお礼の電話をかけたら「あ!今買い物してて会計中だから!後でかけ直すわ〜」って言われて結構長いことかかってこなかったからウケた。でも、かけ直してきてくれた電話であれこれ話して、短い電話だったけどその中でも昔と変わらずに大事にされてるな〜って感じられたのがとてもありがたかった。

子どものうちは甘やかしたり可愛がったりしてたのに大人になった途端に「もう大人だからね」って急になんもしてくれなくなるどころか今までの甘やかしは貸しだ的無理難題言ってくる大人もいて、そういう人や態度に出会うとめちゃくちゃびっくりしてもうなにもできなくなってしまうんだけど、反面昔っからなんにも変わらず大切にし続けてくれる大人もいる。子どもの頃は大人たちからの施しをまんべんなく自分が大切にされるのが当たり前の存在ゆえの甘やかしか可愛がりとしか受け取ってなかったけど(そう受け取ってる子どもの頃の自分、大概やな)、私が大人になった今でも変わらずに大切にし続けてくれる大人たちはまじで私のこと大切なんだって思えて今更ながらすごい気持ちになる。そしてそういう人たちに共通しているのはみんな根本に自分がやりたくて(やってあげたくて)やってるみたいなとこがある。そのやりたくてやってる気持ちがこっちと合わないと余計なお世話でしかないから、自分が立場を変えたらまじで気をつけなきゃなとは思う。

25歳越えたあたりから周りの大人たちがしっかりザ老人になっている…と実感することが多い。もちろんその中に亡くなった人も少なからずいるから余計にそう思う。私の人生はすっごく小さな世界でできていて、それでもこの人生で出会ってきた人たちみんなに何かしてあげたいと思って実際にすることを達成する、なんてことを考えだすと途方もない気持ちになってしまう。でもしようと思う。



パンを焼くために使わせてもらいます