コスパ・タイパの誘惑を断ち切れ
コスパがいい、タイパがいい。コスパが悪い、タイパが悪い。あちこちで聞かれますね。
今流行の「コストパフォーマンス」や「タイムパフォーマンス」の考え方は、語学教育の中にも入り込んでいますが、そのことについてどう思いますか、という話です。
「コスパがいい・タイパがいい」という甘いささやき
「もう遠回りしない学習法」
「これだけ覚えたら検定対策ばっちり」
「私がたった〇カ月で検定試験に合格できた学習法」
こっちの学習法のほうが「コスパ」や「タイパ」がいいよ!と学習者に訴えかけていますね。
特にZ世代は「コスパ・タイパ」が大好きなようです。ちょっとでも「コスパ・タイパ」が悪いことは敬遠します。最短の履修(勉強量)で大学を卒業しようとするとかね。
語学学習は「レース」か「旅」か
「コスパ」や「タイパ」が良いこと自体が悪いことじゃありませんが、「できるだけ効率的に生きること」が、あなたにとって本当に大事なことなのか、というのが私の問いです。
「1秒でも早く推しの言っていることが分かりたい」「受験英語というコスパ外国語学習が身についている」そんな思いの人も多いはず。
効率性を求めるのは、語学学習をあるゴールに向かって進む「レース」と捉えているからでしょう。レースと捉えてしまうのは、検定試験をゴールに据えていることも影響しているかもしれません。(検定についてもブログを書きましたので、気になる方はどうぞ)
就活生や検定試験合格が仕事の必要条件であるならいざ知らず、一般の学習者にとって、検定合格は目の前の一つの目標にはなり得ても、語学学習の最終目的ではないはずです。何度もお話ししていますが、最終目標は推し活である「目標文化」へのアクセスのはずです。詳細はこれを↓
むしろ、生涯かけた趣味として楽しみたいのであれば、語学学習は「レース」ではなく「旅」であるべきです。旅では、旅先からの帰宅がゴールですが、ゴール(自宅)になるベく早く効率的にたどり着いて何の意味がありますか? いっそ旅になど出掛けなければ、コスパ・タイパは最高です。
いかに早く効率的かよりも、ゴールにたどり着くまでの道のりを自分流に楽しむのが「旅」なのです。できることなら、なるべくゴール(自宅)にはたどり着きたくない、と願うのが旅ではありませんか?
というわけで、外国語学習を「コスパ・タイパ」で考える癖を捨ててください。何かの実力はその人がそれに投入してきた努力や経験にうらうちされたもので、簡単に能力なんて身につくものではありません。しばらくやっていて、ふと我に返って振り向いた時に「こんなに力がついている」と悟る世界です。外国語などは本当にいろいろな要素が絡む複雑で難しいもので、コスパとは真逆の世界のように感じます。
むしろKPOPが好きでその世界感をもっと味わいたいというのが動機なら、検定を目指すのは「コスパ・タイパ」が悪いです。KPOP界隈という特殊性が、検定試験の問題には一切登場しないからです。基礎から積み上げていって、それらを完璧にしてから、KPOP界隈という特殊な言葉を学んだらいいという考えであるなら、検定試験を目指すのは壮大な遠回りです。推しを理解するための「コスパ・タイパが悪い」のは明白です。
「タイパ・コスパ」の他に、「多様性」もZ世代が大切している信条のようです。外国語学習にも「多様性」があっていい。なぜその言葉を学ぶのかという「自分軸」は人それぞれで、個別性・多様性があっていいんです。「コスパ・タイパ」だけを重んじる人は、「レース」はできても「旅」のできない人です。あなたは、どちらでしょうか?