[言葉にすると辛いこと]
[東日本大震災のとき]
あの日、あの時、
私は横須賀の障害者施設で働いていた。
[何だろう、めまいなのかなぁ]
メニエール病持ちの私はてっきり目眩の発作だと思っていた。
[ちがう!揺れてる!]
テレビをつけて愕然とした。
水が止まり、飲み物などは一階からすべて階段で運んだ。
エレベーターがとまり、配膳も階段だった。
そんなとき、
[お母さん、大丈夫かなぁ]
[お姉ちゃん、大丈夫かなぁ]
入所しているCさんのご家族は福島に住んでいた。
施設の中はてんやわんやでバタバタである。
そんなときにどうしたらいいかわからず、
[きっと大丈夫だよ、大丈夫。]
それを言い続けた。
電車はなくなったが、
その日の晩、私は深夜に帰宅することができた。
でも、まったく眠れなかった。
なぜなら、あの言葉である。
[大丈夫]
そもそも[大丈夫]なんて言えるであろうか。
ましてや、地震で辛い人のことを簡単に、
[大丈夫]
そんな軽々しく言ってはならなかった。
あの言葉を言われたCさんはどれだけ辛かっただろう。
眠れずに夜はしんしんと過ぎていった。
人は皆頑張って生きている。
頑張りようも様々、抱える辛さも様々。
私はあれ以来[大丈夫]という言葉を、
軽々しく使わないように心がけている。
人の心は機械ではない。
壊れて簡単に修理したり捨てたりはできない。
ときどきゼンマイのようにゆっくりになったり、
早く動いたりできないかなと思うことがあるが、
ゼンマイは、巻かないと止まる。
誰が巻くか。
それは誰にもわからない。
一般社団法人全日本バリアフリー推進協議会
代表理事 バリアフリースペシャリスト®︎
静ちゃん