2022年 秋の小冒険④ 札幌3日目 思い出で泣きそうになった日
今日の予定はなーんにもない。終日Freeの日。
昨夜はコンビニワイン1本+2/10本を飲み干して在庫を空にして、きつくカーテンを閉めて寝たお陰で目覚めは10時半。ゆっくり風呂にでも浸かってのんべんだらりんと無駄だけの午前を過ごそうと思ったらこの時間は清掃中とのことで大浴場とサウナは使用禁止。チェックアウトとインの間だし「そりゃそうだよなー」と納得しながら部屋の狭いバスタブで湯に浸りながら洗濯も済ませて、さてどーしましょ?
札幌に来たからには、やっぱりまずはあそこに行って放尿&排便だな。世界征服しよう。10年ぶりくらいかな?
便意を我慢しながら世界一のトイレへ向かう。途中ショーットカットになるかと思って入った旧道庁の迷路で迷い、30分歩いて目的地の足元にたどり着いた。
740円払って最上階38F行き直行エレベーターに乗る。高低差で耳キーンになって到着。おしゃれなカフェなんかには目もくれずトイレめがけてまっしぐら。幸いなことに待ち人もいない。心地よく放尿&排便。そして周囲を見渡して世界の王になった気分を味わう。
最高だぜ、JRタワーのトイレ。このトイレと真剣勝負できるのは与那国島の今は閉店してしまった「ユキさんち」のトイレくらいなもの。ユキさんちのトイレは六畳ほどの広さの真ん中にポツンと便器がひとつあるだけ。このトイレ、住めるわと思ったっけ。
絶景に向かって勢いよく放尿する気分良さ、女子にはわかんねーだろーなー。男に生まれて良かったと思う瞬間だ。人類全てが俺にひれ伏し世界の王になった気分になるのだ。
でもね、ふと思った。「女子トイレはどんななの?」もちろん入ったこともないしネットにも上がってない。もっとすごい女王様の玉座だったりして...。
王になってしまえば、もう用事はない。展望室を一応一回りして360°の展望は確認したけど思い残すことは何も無い。身も心もスッキリしたし、一般庶民がうごめく下界に降りた。
なんか食べなきゃ。そう言えば、あそこはどうなってるんだろう?
南へちんたら歩いてすすきのへ。
「みよしの 日劇ビル店」おー、まだあるんだ。40数年ぶりの来店。さっそく懐かしの餃子定食をオーダー。
餃子の味は忘れてたけど、食べ放題のキャベツの浅漬を食べた途端に昔の記憶がどっと蘇ってきた。とうに忘れていた些細なことまでがこんこんと湧き出てきた。
じつは今からだいぶ前、1977年有珠山が爆発した夏に私はここでアルバイトをしていたのだ。
21歳の名ばかりの大学生だった。大学生活に意欲をなくしたいた私は東雲埠頭からフェリーで苫小牧に渡り、北大の寮に入っていた友人を頼って札幌にやって来た。着いた日の夜、たしか王貞治がホームランの世界記録を打った日だったと思う、すすきのがバンザーイで燃えていた。札幌の巨人ファンの多さと熱さにビックリした。
調子に乗ってその輪に入ってどんちゃん騒ぎ。知らない人と抱き合ったり乾杯したり。道頓堀に飛び込む阪神バカファンとほとんど同じ、きっかけさえあれば理由はいらない、「まー、飲めや。東京から来たお兄ちゃん。」の声に浮かれまくっていた。
しばらくは自治寮だった恵迪寮に潜りこんで寮の飯をタダ食い寝泊まりをしていたのだが、それもバレて追い出されそうになり、今思えば不思議なシステムなんだけど、当時は札幌の街角に掲示板があって、学生の「家庭教師します」とか、大家の「部屋貸します」とかのビラが直に貼ってあった。ダメ元で「カクカクシカジカで札幌に来ました。礼金も敷金も払う余裕はありません。部屋代だけで1-2ヶ月でいいので部屋を貸してもらえませんか?」と交渉したらOKの返事をもらい、北31丁目の4畳半6000円/月の部屋に住めることになった。恵迪寮からボロボロの布団を運び込み北31丁目の住民になった。
住の問題は解決したとは言え所持金は日に日に減ってく。アルバイトを探しても学生証の提示ではねられつづけ、「家に置いてきちゃいました。明日持ってきますよ。」の嘘が通って採用されたのが餃子のみよしのだったのだ。
「明日持ってきますよ」を3日も続けたら曖昧になって聞かれることもなくなって、まんまとアルバイトを続けていた。バイト代も日払いでもらっていた。
「食事付き」に引かれて応募したようなもんだったけど、その食事が店で提供している餃子オンリー。食べ放題だよと言われても3日続けば飽きてしまう。そこで考えたのがバイトの帰りに毎晩寄るようになったすすきののスナック(王選手のホームランのどんちゃん騒ぎに巻き込まれて大騒ぎしたスナック)に餃子を持ち込んでナポリタンやピラフと物々交換をするようになった。
みよしののバイト終わりに「家で食べますからもらっていきますね。」と冷凍庫から3-4人前の餃子をスナックに運んで飯を食わせてもらい、「アナタ背が高いから上のボトルにまで手が届くから便利だわ」と重宝されていつの間にかカウンターの内側にいるようになり、夜明け近くまでアルバイトをさせてもらうことになった。
店の前に配達される氷塊をみよしのの休憩時間にスナックの冷蔵庫に移すのが最初の業務。店の鍵まで預けてもらってママさんにも信用されていたんだと思う。
今思えば、どこの馬の骨かもわからぬ風来坊に店の鍵を預けるなんて、ママは相当肝が座ってたなと思う。水商売歴も長く世間知らずのはずもない、人を見る目があったんだと思うことにしよう。
まさに青春だった。スナックで働いていたおねーさんと酔っぱらい運転で藻岩山に行ったり石狩浜で夜明けを待ったり…藤田敏八映画の登場人物を地で演じているような青春ど真ん中の毎日だったっけ。
やがて秋になり、一雨降ったら気温がぐっと下がって手持ちの衣服では寒くて生活できなくなって東京へ戻ったのだが、ホント楽しい毎日だった。スナックのおねーさんもおばーさんになってるだろうけど元気でいるのだろうか?ママさんはお亡くなりなってるかもな?
なーんてキラキラな日々を餃子定食を食べながら思い出していたら泣きそうになった。1時間前にはトイレで世界の王になっていたのに。
ノスタルジーが溢れ出して溺れそう。
こうなるともうどこにも行く気がなくなった。すすきのの電飾が光り始めて、出勤する派手なねーさんたちと交差しながらホテルに向かって歩く。
こんな夜はワインじゃない、芋焼酎の720ml瓶を持って部屋に戻った。二日酔い確定な荒い部屋呑みが始まって、やがて意識が飛んだ。
札幌3日目終了。