エゴイストの憂鬱

恋から愛に変わった、とか
恋の延長、だとか
境界線すら曖昧な「愛してる」を
多くの人が使うけれど、
そもそも「愛してる」って何。


わたしは彼を愛している。
彼もわたしを愛している。

わたしは彼を信頼している。
彼はあまりわたしを信頼していない。


彼は、とてもとても、
わたしを「愛している」という。
だからなのか、元々なのか、
たまに彼はそれを壊そうとする。

離れようとしたり、
関心を無くそうとしたり、
自分の気持ちを無視しようとしたり。


だけどそれが余計に
わたし達の関係を難しくさせる。

彼はわたしが、
どこかに行ってしまうのではと
不安になると言う。
実は彼の他にわたしが
「ご主人様」と呼ぶ別の人間が
隠れて居るのかもしれないと、疑いもする。

わたしは彼と付き合う時に
精一杯の覚悟をした。

現実が嫌だと薬や剃刀やガスに
頼って毎日を過ごしていた時、
「それが嫌なら全部捨てて
俺のところに来い」と彼が言った。

何ヶ月も掛かったけれど、
わたしには彼しか居ないと思った。
彼を自分の「主」だとも思った。

そしてそのご主人は
こんなわたしを拾ってくれた。

変な男友達の連絡先も全て消した。
隠し事や嘘もない。
約束も守っている。
そしてわたしにはご主人しかいない。


なのに。
それでもご主人は
焦りや独占欲から苦しくなって
悲しい事ばかりを考える。

わたしはどこにも行かないのに

そして今更逃げられもしないのに。

なのに彼はその苦しみから
幸せを壊そうとする。
「離れてしまうのが怖いから」と。

なんて、悲しい。

愛し合っているなら
それでいいのに。
信じられないならこれから
ゆっくり信じていけばいいのに。

わたしだって、たまには
不安にもなる。
彼が携帯ばかり触っていても、
不安になる。

だけどわたしは。

何故だか彼はわたしから
離れることなんて出来ないと確信している。

わたしが一番彼を
愛しているのだから、
そんなわたしから彼は
離れられないと。

根拠はない、だけど確信。

そうやって根拠のない確信や
自信があるから不安があっても
落ち着いていられる。

私から一秒たりとも
離れてほしくはないけれど、
もしも離れた時、帰ってくる先が
わたしであれば良い、と、思う。


サディストな彼
マゾヒストなわたし

彼がわたしに苦痛を、痛みを、
屈辱を、羞恥を、与える。


痛くても、涙が出ても、
彼が与えてくれるから、
わたしはそれらを受け止め、喜ぶ。


だけど最初よく考える。

サドのSは(Slave=奴隷)
マゾのMは(Master=主人)


サディストが、マゾヒストを虐める。

だけど実際は
マゾヒストが望むものを、
サディストが 与え、奉仕している。

確かに、と思う。
まさに今のわたしたちの関係の奥は
おそらくこんなふうに構造されている。

彼に閉じ込められても良いと、
思うのは、わたしだけだから。
彼に殺されたいと思うのも、
わたしだけだから。

彼の性癖を、わたしは知っている。


だから。

痛くていいよ、好きにしていいよ。

いやむしろ

痛くして、苦しくもして、
蹴り飛ばして首、締めて。

それらを求めそれらを与えられ。

あなたにこんな風にされて
喜ぶのはわたししか居ないのよ、
あなたにはわたししか居ないのよ。
そんな風に裏を返せば、
縛っているのは彼ではなく
わたしの方かもしれない。


だって、捨てられたくなければ
離したくもない。

体も心もあげるけど、
せめてあなたの心だけ繋がせて。


幸せ。だけど辛い。


「殺したくなった」、と
笑う彼はわたしが今まで
愛し
た彼のまま。


奴隷でもペットでも、
愛玩人形でもいい。

だけど心だけはわたしに
繋がれていて。