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『一定時間』を働くことについて、と7月31日の日記

はたらくことについて、今以上真剣に考えられる時期があったかなぁと思い起こしてみる。

なかったようでいて、ずっと考え続けていたような。。

定時に会社へ行って、定時を過ぎたら帰るとか、フレックスだからその前後がある程度フレキシブルになるとか、もうそんなにはたらくことに『ルール』は要らないんじゃないかなと思ってる。

『仕事は作り出すものだから』という理論も一方ではあると思う。

むしろそう言われ始めてからも、だいぶ経つだろうな。

でも、ぼくはそうやって作り出された仕事のほとんどが今、見直されつつあるんじゃないかと思ってるよ。

仕事のための仕事が世の中に多すぎる。

これは、特定の何かを言っているわけではなくて、本質的なところについて、考えたり、ものを言ったりしなさ過ぎたんではないかと。

かくいうぼくも、その中の一人だ。

ルールの中でのうのうと生きてきた。

割と自由なスタイルはとってきたけども。

会社とか、組織が大きくなった中で、今、一人一人の存在する意味が問われている気がする。でもなんだかそれって、今まで見て見ぬ振りをされてきたものが、“ちゃんと蓋を開けられた”状態なだけであって、別段不思議でもないなぁと感じている。

こういう時代の中で、ヒトの事に関わる『人事』の役割ってすごく重要だと思うんだよなぁ〜と、とある若手社員と話す機会があった。

同じような問題意識を抱えていて、彼は今月会社を辞める予定だ。

それでいていいと思う。

何が言いたいかというと、会社や組織は未来永劫のものではもちろんなくて、むしろ、ある島にたどり着くための『船』のようなものだと思っている。そんなことを思うとすぐ脳内再生されるのがこの歌。

ある目的地へ行くためだけに乗り込んで、それが達成された後は、その船の行方に興味がある者だけが乗り続けていれば良い。

興味がなくなったり、他の目的地へ行きたい者は下船する。もし、他に航路が確保できない場合は、自分で船を出せば良いのだと。

帆を張ることは、いつだってできる。

***

7月31日(水)

朝は、寝坊気味で8時くらいに起きる。

noteをアップしてから、娘を起こしつつ、ご飯の準備。朝の生活リズムはだいぶ整ってきた感じがする。noteを朝一で書くことにしたからかもしれない。

出社しながら、こういう満員電車に乗るのも、あと1年ないんだなぁと思うと、ちょっと感慨が深い。

昼は、同僚と恵比寿の蕎麦屋へ。梅みぞれそば。すっば旨い。

夕方、若手社員と雑談を少し。こうやって自分よりも若い人たちの感覚もちゃんと話して聞いて、自分もそれを元に考えるいいきっかけになってる。

そういう意味では会社や組織という『器』としての意味は深い。

夜は、夏の合宿の準備を進める。誰もいなくなったオフィスだと本当に仕事が進む。人の声がすると『耳優位』な自分はやっぱり聞きにいってしまうのだよね。できるなら平日休んで、休日に出勤したいくらい。

22時くらいまでやることを済ませて帰宅。

帰ってきてから、食事をとり、就寝。

今日も、いい日だった。いっぱい喋った。

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小川大介/自家焙煎喫茶WEEKEND
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