経験の土台に立って、「普通」に答えるスタイル、と7月20日の日記
今朝、いつも通りnoteを読んでいて、バーボッサの林さんが書いていたことが気になったので、こんなツイートしてみたんですね。
相談者の質問に答えることについて、たぶん謙遜も込めて、こんな風に書いていたんです。(有料部分ですが、冒頭一部を引用させていただきます。)
こういう質問を受けて、回答するというスタイル、最近色んなところで見かけますよね。
それで僕も、こんな風に偉そうに答えているのですが、僕自体の意見や回答って「いたって常識的」で面白くないと自分でも思うんですね。
でも僕と他の回答者との大きな違いは、こういう仕事を25年間してきたので「すごくたくさんの恋愛や人生のパターンを見てきた」っていうのが強みなんだと思います。
で、それらは、あくまでも「誰かの人生や恋愛を集めたデータ」であって、それが全ての人達に「あてはまる」というわけではないなと思います。
ほんと、僕の回答は「世間一般ではこういう傾向で、僕は常識的に考える」っていう、ほんと「普通の答え」ですので、「参考程度」にしていただければと思うんです。
これを読んでいて、すごく思うのが、自分にとっての「当たり前」とか「普通」って、他の人にとっては経験したことのない、新鮮な話であることが多いんですよね。
むしろ、「これは人にウケるかも知れない」とかで刺さりやすい「テーマ」や「ワード」を盛り盛りで書いているものを見ると、げんなりしてそっと閉じてしまいます。どうしても、疲れるんです。
奇をてらったような内容って、結局はその時代性とか、トレンドってものに左右されて、あとから読むとかなり古びた(あるいは、役に立たない)ものが多いように思います。
それであるなら、林さんのように「ご自身の経験」に即したことで、自分の中では「普通」とか「つまらない」とか思うような内容の方が、それを聞いたり、読んだりしている側にとっては意味があるなぁと思います。
経験に裏打ちされた「普通」の方が、根拠や中身の少ない「映え」よりも、ちゃんと心に届く感じがします。
なので、日々生活する中でも、「つまらないな」とか「単純だな」とか思うようなことも、立場や目線を変えると、実は結構、貴重な体験や経験だったりする。
“自分の常識は、他人の非常識。”
その逆も然りだし、なにもわるいケースばかりでもないんだなぁと。
そんなことを思ったりしました。
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7月20日(月)
朝、6時半頃に起床。ウォーキング99日目。
帰宅してから筋トレと、シャワー。
妻にコーヒーを淹れる。今週は鎌倉・ディモンシュの「ブラジル」を。
朝食は、ごはんと、前日の残りの鶏肉のトマト煮、ザワークラフト、納豆。
娘を幼稚園に送りつつ、自分も出社。少し早め。始業前にnoteをアップ。
お昼は、初めてガーデンプレイス地下のラーメン屋「冠尾」
鶏チャーシューやわらかくて、スープもすっきりと美味しい。
19時から、日本酒の仲間とzoomでの打ち合わせがあったので、早めに退社、月曜なので「オールフリー」を買って帰宅。
21時頃まで、zoomで話していて、疲れる。テレビ会議での疲れは、こんなことが影響しているらしい。
今、会社に出社することが増えてきたので、テレビ会議独特の疲れに悩まされることはなくなったけど、要はバランスなんだと思う。
腰回りの疲れや痛みは、最近なくなってきたし。
ミーティングが終わった後、軽く夕飯を食べて、お風呂に浸かり、ラジオを聴きながら寝落ち。
涼しくて、よく眠れた夜でした。