
恩師の死に触れ思うこと、つれづれ
ぼくはこの「note」というサービスを、2年半ほど前から毎日触れ、記録をつけるようになったわけなのですが、そもそもはじめたきっかけは、「人の死」に触れたことだったんです。
叔父の死
生き方、仕事の仕方、世の中の見方、それに対する考え方、ぼくはそれらのすべてを幼い頃から「叔父」に教わってきました。
尊敬というより、崇拝していました。
その叔父が、病を患い、繰り返し入院余儀なくされます。
最期、他界する2ヶ月ほど前から、毎日のように病院へお見舞いに行っては、おしゃべりしては帰る、を繰り返す時期がありました。
その時の、日々やるかたない気持ちを、なんとか形にしておきたい…そんな思いからスタートしたのがこの「note」の出発点だったんです。
当時、あまりにも気持ちのやり場がなかったし、大事な人の死を消化しきれず、その後長らく苦しむのは避けたい…と思って始めたのでした。
はじめは、iPhoneで簡単な日々の記録をつけていました。日々の気持ち移り変わりを書いていった。
それがどう役に立ったかは、わかりませんが、日々起こることを「文字にして、眺める」という行為それ自体には、それなりに意味があったのだろうと、今では思っています。
“書くことは、セラピーである”
と、ある文筆家の方が「note」に綴っていたことばです。
本当にそうだと思うんですよね。
そして今、同じくらいの強い想いを持って、ぼくはこの文章に向かっています。
昨夜、ぼくにとって、とても大事な「恩師の死」の報せがありました。
知らされた瞬間、仕事中であったにも関わらず、しばし茫然とし、全身に力が入らなくなりました。
芯がなくなった感じがしました。
なんというか、「悲しい」とかではないんですよね、こういう時の感情というのは。
ただただ、この状況が信じられずに「唖然」としてしまう。
病室へ通うことで、少しずつの覚悟ができていた叔父の頃とは、やっぱり受け取り方が違いました。
頭を殴られたような強い衝撃を受け、ふらふらに憔悴しきった気持ちで帰路へつく。缶ビールを一本コンビニで買ったのち、帰宅。
本当言うと、家にも帰って来たくなかった。でも今は、仕方ないですよね。
家に帰るなり、自分の性格上、一人で抱えられないので、結婚式ではスピーチをしてもらった方ということもあり、妻にその一切を話しました。その後、しばし何かをしゃべっていたはずなのですが、あまり憶えていません。
「あー」とか「うー」とか、独り言に近い呻き声みたいなものを聞かされて、妻はたいへんだったことでしょう。
本当はそのまま一人、どこかに行きたかった。
かなしい時には
だいたいどんなことがあっても、いつもはわりと元気に過ごしているんですが、落ちるときはとことん落ちる。
“あえてそうする”と、決めている部分もあります。そうじゃないと、すべてを出し切れないし、心の澱のように、残ってしまうから。
こうやって、暗い気持ちを“文字”として書いてしまう自分も、「やっぱり自分の中にいるんだなぁ」とわかりました。
まぁ今は、無理することなく、少しだけ上を向いて、陽の当たる方向を向いていようと思います。
少なくともここからは。
この二日間の週末は、ほとんど何も予定を入れずにいてよかった。
週明け月曜日には、恩師のご自宅へ、最後のご挨拶に行くことにしました。
そういえば前職時代、「家族みんなで遊びにおいで」と誘っていただいていたこともあったなぁと、思い出しました。
結局その後、転職などもあり、タイミングが合わず行く機会を逃してしまっていたのですが。
「茫然自失」のあとは、そこはかとない「かなしみ」だけが残ります。
こうした、少しの気持ちの移ろいも記録していけたらいいな、と思っています。
それは今回だけに限らず、で。
「生きてゆく」というのは、他人の「死」を乗り越えることの繰り返し。
行き場のない気持ちの記録。
今日は早めに寝ようと思います。
いいなと思ったら応援しよう!
