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森山亜希の作品が持つ強さと、主張とは何か?
先週金曜日の夕刻、東銀座駅近くのギャラリーで開催されている、森山亜希さんの個展『DOLLs』へ行ってきた。森山さんは、クマ財団の1期生でもあり、かのゾゾタウン前澤さんの現在芸術振興財団主催によるCAF(カフorキャフなどと呼ばれる)でも賞を受賞しており、選考の際もひときわ異彩を放っていた。
この日は、同じくクマ財団1期生の川中陸くんも来訪し、同じ時間を過ごした。
著名なアートプロデューサーであり、本個展開催のギャラリーの持ち主でもある、山口裕美さんの言葉を借りる。
森山亜希さんは、ドールをモチーフに“人間劇”を描き、人間の在り方について根源的な問題を投げかけてきました。おとぎ話や夢のような世界で描かれるドールたちは命を宿したように魅力的ですが、それに対比するかのようなドールの無表情さは、どこか意味深長で、さらに私達の想像力を膨らませます。
森山さんの描く作品の中のドール達はとても魅力的です。けれども、肉体と精神が少しばかり乖離しているような浮遊感があります。生身の人間でもうわべだけを整え、化粧し、着飾ると徐々に人形のように見えてくる瞬間があるし、他方、ドールもその肉体を堂々とさらけだしていけば、思慮深さや精神性が深まるのかもしれません。さまざまなイメージを想起させ、私たちに問いかける作品となっています。
大学在学中で、まだまだ発展途上中ではありますが、アーティストとしての完成を待つよりも、新作をいろいろな方に見ていただきたいと考えました。これからの森山亜希さんのキャリアの一歩として、一人でも多くの方に目撃者となっていただけたらうれしいです。
と、稀代のアーティストとして、非常に期待を寄せていることがわかる。
そんな目撃者の一人となるべく、この日、初めて東銀座のギャラリー「un petit GARAGE」を訪ねた。
会期も金曜、土曜の残り2日という状況だったため、ひっきりなしに友人やファンと思しき女子高生(!?)が出入りしていた。
そもそもどうして、こんなに観に行くのがギリギリになってしまったのか。
ギャラリーで作品を観ながら考えてみた。
選考の時にも思ったが、作品に込められたパワーがすごい。
「見えない主張が多い」と思った。
「見えない主張」とは何か?
と、聞かれると、すごく困る。
森山さんの作品を以前から観ていて、本物と対峙した時の迫力、鬼気迫る感、それがビシビシと伝わってくる。悪い意味でなく、とてもエネルギーを消耗させる作品だ。そういう意味ではとても芸術的なのかもしれない。
ゆえに、無意識のうちに避けてしまっていたのではないかと。
作品から何かを感じようとするじぶんと、作品に込められた強い思いや意図が交錯するところ。描かれた表情、動作のない人形たちが必死で訴えかけるもの。それがなんだかとても強くて、切なくて、疲れる。
本人のステートメントにもあるように、
私がドールを描くのは、人間の所作だけでは表現出来ないものをドールには表現することが出来ると考えているからだ。
ドール達を描くことで、人間自身のアイデンティティ・意識・身体等といった人間存在の在り方への根源的な問題提起を行いたい。
この問題提起の深さと大きさ、そして強さ。
フラっと作品を観に行っては、手痛い目に遭う、と芸術初心者のぼくは思ってしまう。
でも、山口さんの言う通り、まだまだ発展途上で、成長の過程という意味でも、森山さんの現作品には、刃物のような切れ味があってしかるべきだろう。
今回の個展での反応や、率直なフィードバックを都合よく自分のものにして、批判や何やらはいい意味で聞き流して、今後も鑑賞者にするどい刃を突きつけるような作品を作り続けてほしい。
これからも、一ファンとして応援したいと思った。
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