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渾身の一杯を淹れにいく、と11月8日の日記

さて、今朝は朝から準備。

福島へ移動の日。明日のパンフェスに合わせて、会場の下見をしたり、オリジナルローストしてもらった豆を受け取りに行ったり、提供用のカップを受け取りに行ったりする。

イベントを中心に活動をするということは、必然的に初めての場所がほとんどだということ。

お店を構えて、来る人を待ったり、人を呼び込んだりするのではなく、自分からその場に向かい、限られた条件の下で空間を作り、通りがかりの人々に珈琲を淹れる必要がある。

ぼくは、イベントに行ってよく珈琲を飲む。

そんな時に、振り向きざまにポットでコポコポと注ぐ形の珈琲もあれば、その場で時間をかけて抽出する珈琲もある。

どちらも一杯の珈琲には変わりはない。

ただ、ぼくがお客さんとして、もう一度行きたいと思えるお店は、どうしたって後者になってしまう。

目の前で、自分のためにかけてくれる“時間”も一つの商品だと思っているから。

その行為や所作の延長上に、モノがある。

抽出された結果の一杯は、(極端な話をすると)その副産物でしかない、かも知れない。

…かも知れないと言っておく、一応ね。

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また、イベントでの珈琲については、提供スピード問題と、どうしてもあるのが紙コップ問題だ。

イベントでは、まずほとんどのお店で、紙コップでの提供になる。

紙コップ、安いし手軽でポイっと捨てられる。最初のうちこそ、熱々で良いかもしれないのだけど、冷めやすいのと、どうしても飲み口が気になってしまう。香りだって、もっといいはず。

と、いろいろ思ってしまうこと、しばしば。

最近は、色々工夫された飲み口のものがあるみたいなのだけど、結局はプラか紙には変わりなく。

でもそれは、本当に仕方のないこと。

提供側としてどこを我慢して、どこを取るかはそれぞれ価値観が違うから。

それで言うと、参加者が自分の好きな『マイカップ』を持ってきてくれるのが一番好ましい。でも、それはまだまだ先のことなんだと思うし、一般化はしないんだろうなぁ。

だから、自分が提供側としてやるのであれば、外で自分が飲みたい形の一杯を提供したいな、と思っている。

お客さんにとっては、紙コップで持ち歩いて飲んだりする方が、都合がよかったりする部分もあるのかも知れない。

ただ、珈琲を提供する側は、少なくともその部分の葛藤はあるんだろうと思う。もちろん、人それぞれなので、全く何も感じない人もいるとは思うけれど。

いつかイベントに慣れて、「そんなもんだろう」となる前に、自分が持っている違和感や、試してみたいことには挑戦していきたい。

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11月8日(金)

朝、起きてすぐ珈琲を淹れて、妻にポットを渡す。パンを焼いて、娘と朝食。

娘は芋掘り遠足のため、少し早めの送り出し。いろいろ準備して、リュックにパンパンに着替えやら、おやつやらを詰めて出かけて行った。

出社して、昼は、家から持参したスープジャーでお粥を。今週、少し疲れ気味なので、予定のないときはお粥を家で作って持っていくのが、とてもよい休憩になります。

夜は、妻が少し咳が出るとのことで、ヨガはお休みし、家族3人で鍋を食べる。ご飯を炊いてもりもり食べた。

娘はお風呂に入りながら眠ってしまい、風呂上りから妻が全自動で着替えさせてそのままベッドへ。最近、こういう流れが多い。

ぼくも、妻も、それぞれに体調が微妙だったりするので、早めに寝ることに。

土日は、結構ハードに動きます。

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小川大介/自家焙煎喫茶WEEKEND
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