慌てずに自分たちの時間を過ごしている、と12月3日の日記【年内残り29日】
時の速さを感じています。早さでなくて、速さ。
そして今は、西会津の「ひととき」にいます。雪はそれなりに降ったり積もったりしているけれど、不自由さは感じません。むしろ、解放感の方が強い。
そんな場所に、5歳の娘と初めての泊まりがけの二人旅に来ています。
これまでも、「二人で移動」することは何度もありました。多分、僕も移動する系の民族だし、娘もそんな父親に付いてこれるだけの好奇心は持ち合わせていたようで、ありがたいかぎり。
ただ、「泊まり」となると話は別。
自分自身としても会社や土日の予定、普段の生活があったりすると、「東京」という磁場を離れることをそう何度もできる訳ではないし、娘にしても、幼稚園があり、週末の習い事があり、そして何より大好きな心友である「ママ」の存在があります。5歳児が完全に何日も母親と離れて暮らすというのは、相当に過酷なものなのだろうなぁと、娘の父親として、そして、かつての“息子”としての記憶を思い出しては、娘強いなぁと思ったりしています。
令和に入ってから、ジャニヲタ(嵐&NEWS)の妻にとっては、受難の時期でもあります。特に「嵐」に関しては年末で一旦の活動休止ということもあって、デビューから20年以上活動を見つめてきたファンの一人としては、“思いも一入”…なんていう言葉では言い表せないでしょう。
各自、そういう境遇の中での、この「コロナ禍」というわけです。
それ以前からもう何年も地元と関わり続けてきた自分にとっては、フォローでしかない、この「テレワーク」全盛時代。
東京にいて、高い家賃を払いながらも、心は故郷の会津、福島に置いてきていたので、都会での仮住まいを維持することには何ら意味も目的も持てていなかった。だから、わりとすぐに東京から地元に出入りを再開し始めたし、今となっては会社に申請を出して、特例をもって「旅をしながら働く」というスタイルに切り替えられたのだと思っています。
(ライフスタイルや信条、自身の価値観について普段から上司と共有しているとこうしたいい面があるのだなぁと感じています。)
世の中は大いに荒れ狂って、気忙しく動いているけれど、僕と娘、そして年末がきて欲しいようで全くきて欲しくないと思っている妻。それぞれにとっての「年の瀬」が迫ってきています。
家族3人の小さなメンバー間でもこうなのだから、会社や学校、地域、社会にとってももっと複雑でこんがらがった年の瀬なんだと思っています。
「ゆく年くる年」を、みなさん“ご自愛”を携えて、共に迎えましょうね。
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今日の一曲
クリスマスが来ると、、というよりは12月が近くと学生時代のこの曲を思い出します。よくカラオケでも歌ったし、今でも現役でめっちゃ聴いている曲。思い出の曲です。キックザカンクルー。
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12月3日(木)
朝、6時30分頃に起床。ラジオを聴きながら、土湯温泉町内を散歩。寒さが肌を刺すよう。noteを書いたりなどする。
ふくしまテレワーク
この生活も3週目に入って、慣れたもの。人間はすぐに順応する生き物。ただ、生活がめくるめく変わるというのは「リズム」という点に置いてはすごく難しいのも確か。これまで、朝の散歩、noteを書く、日記帳をつける、本を読む、、など日常生活の中で設計してきたリズムも生活が変われば、変わっていくべきもの。
それだけ変化が出てるってことなんだなぁと。
朝は、お風呂に入ったり、朝食をいただいたり。本棚からピンときた本を手にとって読んだりする。
こういう一つ一つの緩い行動が、自分の生活を作る。逆にそれをできないくらい差し迫っているってことは、どこかしら、異常ということだ。
昼、周囲の定食屋さんなどが定休日という関係もあって、大きめの旅館に昼ごはんを食べに入る。「福うさぎ」
きんきの煮付け定食をいただく、美味しい。
少し、散歩をして歩数を稼ぐ。1日の歩数が健康を決めると言ってもいい。今年は特に意識してきた「健康のKPI」だ。
正直、仕事のKPIなんかお遊びかってくらいに、大事な指標。
ここだけは年末まで絶対に死守したい数字。自分の健康は自分で管理するしかないのだから。
夕方は、早めに切り上げ東京へ戻る準備を。夕飯代わりにお弁当をテイクアウトする。
バス停で時間をチェックして、バスが来るまで近くにあるちょっと洒落たカフェバーのようなお店に入る。おでんもあって、盛り合わせを頼んでみた。
はやぶさでお弁当を食べながら、あっという間に東京、江古田へ。
少し東京を離れると、東京にある刺激や情報がわりと「新鮮」に感じられる不思議。これは、東京に住んでいるからこそ感じて欲しいことでもあるなぁと思う。
いい時間、過ごしています。12月。