何もしないという『予定』でした、と8月3日の日記
8月最初の土曜日。
来週は、お盆前の会津に帰省(お墓参り)だし、
月中は、財団の箱根合宿があって、
月末25日には、男声合唱の定期演奏会。。
こうなってくると、その前に疲れを見込んで『おやすみ』を取っていかないと、一気に心身追い込まれる。それ、いつもだからよくわかる。
だから、僕はこうなってくると、少し先の土日のどちらかに『何もしない日』という予定を入れます。で、そういう日は、妻が予定を入れて外出してもらいます。
自分だけの『予備日』だと、いざとなれば予定を入れられてしまいそうだけど、こうして『誰かの予定』と組み合わせると『自分のおやすみ』を確実に確保できる。
必然的に、1日をゆっくり過ごせます。
ゆっくり過ごすと、考えなども整理されますね。ちょっと思い浮かんだままに記します。
『予定入れない』を予定する。
これ、結構おすすめで、自分の身の回りのことや、読みたかった本、ずっと気になってたものの整理など、ちょっとした日々の積み重ねに付いて考えたり、行動したりする時間になります。
あとは、昼寝。夏場は特に、重要。
これから会社ではなく、自分で仕事を作って、自分で動いていくためには、まず何より『自己管理』を徹底しないといけないと思ってます。
会社だったら、休めます。1日、2日休んだところで組織はビクともしません。誰の場合だってそうです。ある程度の混乱はあるかもしれませんが、そんなものは誤差の範囲です。
逆に、そうじゃないと『組織』でいることの意味がありません。
『必要とされている』は、幻想。
人は誰でも、『必要とされている』にすがりつきたいもの。
『自分がいなくなった世界』に目を向けるのって、とても抵抗があります。
僕もそうです。
でも、いつからかそういった考えが変わりました。変えないといけないなと思いました。
会社は、その人の人生に責任を持つことはない。
それに尽きます。
組織や会社が悪いのではなく、そういうもんなんだと。
基本的に世の中の人はみんな『個人』で、たまたま『やりたいこと』や、その他何らかの事情があって、集う場が『会社』や『組織』なのかと。
こんな意識がいつからか、普通にインストールされました。
身の回りに、そうした意識で生きてる人たちが多くなってきたからかもしれません。
個人が、組織にすがる時代はとうに終わり、
組織が、個人や才能を囲い込む時代も終わり。
今月から所属することになった、『#WaseiSalon』で、ちょうどそんなブログを読んだ今週。
個人と、組織のちょうどいい距離感て、何だろうなぁと考えたりした休日でした。
この辺のことは、もっと深掘りして考えたい話題です。
お話したい人がいたらコメントなどで教えてください。
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8月3日(土)
朝、妻がゴミ出しをしている音で目覚めて起きる。お風呂に入り、朝のラジオを聴く。noteをアップ。
昼、前の晩のブックオフで、勢いだけで買った2冊を読みました。
お昼過ぎからは、娘と二人お昼を食べにいって、公園へ遊びに。
公園で汗かきながら、泥団子を作ったりしました。帰宅したあとは、カルピスを飲んで、一緒にお昼寝。自由ってこういうことだなと。最高。
夜まで、娘はお昼寝していて、僕は本を読んだりしました。
20時過ぎくらいに起きてきたので、ご飯を作るのもだるかったので、近くのラーメン屋さんへ行きました。
お腹いっぱい食べたあとは、『遊ぶ絵本』が気になる娘に手を引かれ、夜の書店へ。『スローリーディング』なのでタイトルに惹かれ購入。
『何もない1日』にも、『何かしら』はありますよね。いい夏の休日を!
それでは!