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一流のものにふれ、想うこと。
今朝、起きてすぐ「喉の違和感」に気づく。
ぼくの風邪はいつもこれだ、喉。
ただ、ここ数日は寒さも厳しくて、身体の異常なのか、寒さのせいなのかわからない感じが続いていた。おそらく昨日の娘の検診で行った総合病院でウイルスをもらったのだろう。
喉が痛くて、頭がぼーっとする。
まだ、熱はない…と思う。
帰ったら、熱をはかろう。
noteを続けていると『そんなことしてる場合じゃない日』も必ずくる。
でも、書くと決めたらやる。それだけ。
体調がよくないことすら、こうして書き残しておけるのだから、「書くことがない」とは到底言えない。
そういえば、特段寒さが厳しかった日曜日。
前にも書いたが、浅草橋の喫茶『蕪木』
彼の丁寧な仕事や、洗練された空間、世界観に刺激を大いに受けた。
それと同時に、あれだけの世界観を醸成させるに、どのくらいの暗がりを彼は歩んできたのだろうと、思った。
人間的に暗いとかそういう類いの話ではなく、アートなどの芸術もそうだと思うが、表で目に見える『表現世界』は、その表現者のごく一部に過ぎない。
独りになる時間や場所、じぶんとどれだけ向き合ってきたか、その積み重なっていったごくごく一角が、目に見えて世界に現れて、評価を受けるのだと思う。
日曜日に、蕪木に行く前にも、ひとりのアーティストの個展に顔を出していたのだが、彼女もそうだ。色鮮やかな作品とは裏腹の、ずんと重たく、目には見えない世界をどうしても感じてしまう。
日々たくさんのアーティスト、クリエイターと接していると、作品は『コンプレックスの結晶化』だと感じることがよくある。
その不安定さや、揺れ動く繊細な部分、逆に大胆な筆使いなど、言葉にはできない驚きや感嘆、悲哀に似た感情をつき動かされる。
アートを見ているのは、疲れる。
それは、アーティスト一人一人の人生や、主張、想いに向き合うことと同じだからだ。
なにが言いたいかと言うと、
珍しく一線で活躍する『表現者』たちと1日一緒にいると、いろいろ掻き立てられることも多いし、ゆえにエネルギーを使い、結果的に疲れが出てしまったという話。よかったんだけどね。
終わりに。
アート、もっと観たいなぁと純粋に思った。
知りたい!という知識欲ではない。
単純にじぶんの感情が揺れるその瞬間を感じたい。言ってしまえば、『怖いもの見たさ』のようなもの。
じふんの感性は、死んでない。
そう確信したここ数日の出来事。
今日のnote。
コルクの佐渡島さん。どうやら咳が止まらないらしい。勝手に体調わるい仲間認定。
まぁでも、はやくよくなるといいな。
ちなみに、佐渡島さんの有料noteを、初めて買って読んでみた。途中までと言っても、タイトル分のほとんど無料で読めるのでおススメです。体調がよくないからこそ、気づいたこと、やりはじめたこと。
ぼくにもそういうことがきっとあるはず。
帰ったら昨日のしょうがご飯を温めて食べて、早めに寝よー。
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