久しぶりにふと、コーヒーハウスを読みたくなって、と9月17日の日記
ずっと気になっている本があります。
17世紀半ばから1世紀余にわたり繁栄を見せた欧州カフェ文化の先駆、コーヒー・ハウス。そこは政治議論や経済活動の拠点であると同時に、文学者たちが集い、ジャーナリズムを育んだ場として英国に多大な影響を与えた、社会の情報基地でもあった。近代都市・ロンドンを舞台にした、胡乱(うろん)で活力にみちた人間模様と、市民の日常生活を活写する。(講談社学術文庫)
アマゾンの解説にはこのように載っています。
ぼくがこの本に出会ったのは、数年前の福島のとある喫茶店の本棚でした。カウンターに座って、何気なく前を見渡すと、小さな本棚に珈琲を題材にした本がいくつか置いてありました。
その中にこの「コーヒーハウス」があったのでした。
その時もタイトルがとても気になって、手に取ったのだけど、仕事で頭が疲れているのもあったし、当時は「珈琲」は「珈琲」としての楽しみしかなかったように思う。
その時はまだ、「場」の意識ってそんなになかった気がする。
その後、結局この本をちゃんと手にすることはなく、本屋さんの本棚とか、誰かの何かの話のきっかけに見ることはあっても、読むことはありませんでした。
歴史は、必ず繰り返される。それは形を変えて、全く別人の顔をして。
なぜかというと、根本的に「人間」の本質は変わらないから。ゆえに、人と人が出逢うことは、面白いんだと思います。
言ってしまえば、「人」は不確定な存在。ロボットではないので、全く同じことを再現できることはほとんどない。不確定な存在と存在を出逢わせる。その時点で何かが確実に生まれていると思っています。
もちろん、いいことだけではなく、ストレスみたいなものもあると思います。
不確定なものとの出逢いの場を、珈琲を使って、作っていきたい。
まぁでも、一番不確定で、捉えどころのない存在は、自分だったりするんですけどね。
ぼくが作りたい場は、固定の「店舗」みたいな形は取らないかもしれない。でも、例えばいろんな場所に出て行って、イベントなどで出店して行くと、自分を知ってくれる人たちが点在することがうれしかったりもします。
そういう人たちとの点と点のつながりを、より濃いものにしていければ、これから先どこかのタイミングで、地元に場を持った時に、見つけて遊びに来てくれるかもしれないなぁって思うんです。
話は、どんどん突き進んでしまいますが、この「コーヒーハウス」を今ここにきて、読みたいと思っているということは、何かあるなぁと思う。中身をちゃんと知らないのだけど、そういう感じはすごく大事にしたい。
*
9月17日(火)
朝、旅行帰りの翌朝というのは、自宅で目覚めること自体も、少し新鮮な感じがして、なんかちょっと得した気分になります。珈琲を淹れて、妻にポットを渡します。行ってらっしゃい。
noteをアップ、、しようと思ったら、アクセス障害がありページが開かないので、ブラウザからの更新は諦めて、電車内でアプリから更新することにしました。
久しぶりにアプリ使ったけど、やっぱりブラウザに慣れているので、使い勝手はあまりよくない。noteは、アプリに力を入れてないのは、むしろ戦略なんだろうと思います。その分、すぐに反映できるブラウザがどんどん便利になっていくから、とてもいい。このままで全然いいです。
昼は、あまりお腹が空かなかったので、作業を少し進めて、頭を回転させたかったので、食べずにいる。15時近くに簡単な雑穀サラダとチキンを食べて、昼食は終了。
たまには、胃を休める時間も必要みたいですよね。
夕方、なるべく早く上がろうと思っていて、17時くらいにはフレックス退社。家族が近所で焼肉したいと言っていたので、帰り道に焼肉屋「豚風」へ。ぼくは久しぶりに行ったけど、ここのホルモンが大好き。美味しい夕食を家族で。
ぼくは瓶ビールで、妻はレッドアイ、娘はラムネを頼みました。
その後、娘がどうしても外でお風呂に入りたいというので、近所のいつものお風呂やさんを調べるとあいにくのおやすみだったため、もう一個ある古めの銭湯に。
そこまで広くないけど、いい感じの歴史ある銭湯で、ゆっくりできました。
帰りはあるって帰り、ゆっくり就寝しました。
たまには、外食して、その分家族の話を聞くのがとても楽しいですね。
今週は、火、水、木の三日間営業で、金曜は有給。
残りは、今日と明日。できることをできるところまで、進める週。
さて、娘を起こして、幼稚園に送ってきますね!
いい天気!