ようやく、来れた。
念願の、仙台へ来てます。
あいみょんのライブツアーに当たったので、ついでに旅先で行きたいところを、全部回ろうマイツアーを敢行。
『お菜晩酌志ほ』
仙台のオフィス街の中にひっそりとあります。
友人のお姉さんがはじめた、小料理屋へ。
オフィス街の土曜なのに、ほぼずっと満席。
内緒にしたいけど、むしろいいお店は多くの人に知ってもらいたいし、
筋のいいぼくの友達たちには、ぜひ知っておいてもらいたいな、と。
ちなみに、店主は『キャリアカウンセラー』の国家資格を持っていて、進路や仕事に悩んだら、話を聞いてもらうとよいかも。
そんな意味でも、おすすめのお店です。
『筋の良さ』ってなんだろう?
ぼくは、ふだんに生活においても、『筋の良さ』を結構一番に考えてる。
判断基準として、言葉としては正直そんなきれいなことばではないと思ってるのだけど、自分が言い表したい『それ』は、この他には今の所思いつかないでいる。
言葉の修行、じぶんまだまだだな、と思う。
まぁでも、この基準で日々の事事や、人の言動とか、世の中ごとを見たり、聞いたり、感じたりしていると、一定の示唆が得られると実感している。
それは、、、
世の中のだいたいのものは、『本質』を外している。
ということ。
社会の流れは早くて、あたらしいもの、めずらしいもの、うつくしいもの、おいしいもの、、数えればキリがないくらいに、ものすごいスピード感でアップデートされ続けている。
『ver.1.0』から、『1.1』とか『1.2』とか、もっと小さな単位での更新がされ続けている。その一つ一つに、たとえば、iPhoneのアップデートだったり、あたらしいアプリがでたり、だれかのブログが更新されたりすることも含まれる。
その日々の営みは、もちろんすごく大事で、それが生きるってことなのだと思うのだけど、ふと足を止めて、手元のスマホから顔を上げて街や、世の中を眺めてみると、気づくことがある。
『それがなくても、生きていける』ってこと。
そうなんだよね。
より便利に、より格好良く生きていくには、必要なのかもしれないけれど、
実は、そこまで必須要素でもなければ、革新的ではない。
ほとんどのことは、『取るに足りない』ことばかりだ。
えてして、暮らしとか、生きていくって、その連続性でもあるとは思うのだけど、なんとなくその『量』が爆発している気がしていて、少し嫌になる時がぼくにはある。
思うに、『筋の良さ』って。
今、仙台のスタバにいて、朝の気持ちいい時間帯だから、一回ソファ席からカウンターに席を映して考えてみる。。。
ちょっとメモ程度に残しておきたい。
上記の文脈で言うと、“『本質』をちゃんとわかっていそうな人”のことを、指していると思う。
ただ、その他の意味で言うとまた表現が変わってくると思う。
うーん、うまく言うことができないのは、すごくもどかしいのだけど、間違いなく『抽象化』できると思ってる。
頭の中に浮かんだ『筋の良さげな人』を並べてみて、それぞれみなさんの『人となり』とか『パッと見で受ける印象』とか『自分がその人をどう思っているか?』とか『その人の趣味や趣向について』とかを考えてみる。
・・・。(イメージして、いい気持ちになっている。)
そして、『sustainable』と『scalable』という二つの単語が浮かんだ。
つまり、続けられることと、拡張していく(もしくはその可能性がある)ことだ。
これは、前職の楽天時代の時に、すべての事業に当てはまる『根本のコンセプト』ってなんだろうって考えたときがあって、じぶんの中にある言葉とか、その時触れた世界観から抽出したんだった。
あくまでぼくの場合、それらについて『魅力』や『気づき』や『スキ』を覚えることがかなりある。我ながらいいところに思い当たったと思う。
じぶんのスキなものをあげてみても、
・喫茶店
・うつわ(伝統工芸)
・日本酒
・コーヒー
それに関わる人たちがどれだけ、『sustainable』で『scalable』な姿勢や思考を持っているか、あくまで100%の主観ではあるが、感じ取ることができる。その直感的な何かを、信じる込むだけの『経験』をしてきていると思う。
いつにもなく、とりとめもなく、結論が曖昧なnoteになったけど、こんな日もあったっていい。
ただ、この一本だけを読んだ人にとっては、相当『嫌な奴』って思われるんだろうな、自分。
読み返したくないもん、この回。
まぁ、いいや、それは本質ではないから。
ぼくも誰かの応援をしようと思います!