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読むのも書くのも好きな、日記というジャンル

サブスクのほとんどを、ぼくは「ひと月限り」と決めて、「購読」したらすぐに「解約」するのを繰り返しています。(書き手のみなさま、毎度すみません。)

さすがにアマゾンの年会費だけはそのままにしていますが、noteの月購読もほっておくと結構な数になります。

読んでいないものが溜まってしまうのもあまり精神的によくないとは思いますが、それ以上に「なんで購読しているのか?」がわからなくなること、ありませんか?

書き出しが上手だとかで、「お、続きが読みたいぞ!」と思って、購読した時のあの気持ちとか、興味を持ったワードとか文体、テーマなど、じぶんが「惹かれた理由」を忘れるのが、一番怖いなぁと思っています。

文章に対して、新鮮な気持ちを保つための自分なりの方法なのです。

だから敢えて購読の期限を設けて、切れたら再度「続きを読む」までの文章を読んでみる。そこでまた読みたいと思れば、それはやっぱり好きなものなのだと。

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そんな中で、毎月購読しているのが、こちらの林さんのnoteなのですが、今月は月の切り替わりが連休ということもあって、昨日まで購読するのを忘れていました。。

noteって購読していると、更新状況がお知らせに入ってくるので毎日気づくものの、購読が切れるとインスタとか、ツイッターなりで、再度目にするまで忘れてしまっているということも少なくありません。

昨日、ツイッター経由で5月から始まった「サークル」のお知らせを見かけて、「あ、そういえば!」となったのでした。

ざっと、ここ最近の林さんの書いたものを読み、気になったのがこちらのテーマ。

有料部分なので、一部引用させていただきますね。

今、コロナの時期、日記が大注目されていますよね。映像で「誰もいない銀座」とかも衝撃的で「残る価値」とか「意味」はありますが、一市民が日々に感じたことを「日記」というかたちで、このコロナのことを書いておくのって結構意味があります。戦時中の何でもない日記が今、資料になる感じです。
でも、それならば、往復書簡も流行らないのでしょうか? もちろん、その人の「文章力」にもよるのですが、今こそ「求められているスタイル」だと思いませんか?

ぼくは、「日記」を書くのは、学生時代からずっと続いていて、もちろん忘れて寝てしまう日や、ごっそり抜けている日もあるにはありますが、ほぼほぼその日のあったことを、「ほぼ日手帳」の1日ページにざっと書いてます。

2年前からは、ほぼ日の株主優待でいただいた「5年手帳」にも記録をしていて、今年で3年目になります。そう思うと、続いているっていうことはスタイルとして「無理がない」ってことでもありますよね。

「日記」は、書くだけじゃなく、読むのも○

「エッセー」という読み物のジャンルが好きなのも、書き方がちょっと生活よりで、毒にも薬にもならないあの感じがなんだかいいのです。

で、林さんの文章を読んで、なぜじぶんは「日記的な文章」が好きなのかを考えてみたんです。まとめると、次のような感じになりました。

書き方として、読んでいる自分に対して強いメッセージを送ってくるものでもないし、その日にあったことや事実に対して、盛ることもなく、嘘をつかず、思ったことや感じたことをつらつらと書く。

そんな温度感が、好きなんだなぁと思いました。

というわけで、今読んでいる本が終わったら、山﨑努さんの「俳優のノート」を読んでみようと思っています。(※注文済み)

ほかにも、「日記」や「往復書簡」的な本、いくつか買って読んでみたいと思っています。

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コロナという、どこでも誰でも通じる「共通の事象」というものが出てくると、書いてある事実や、情報の価値より、「人の視点」や「感じ方」を知りたいという方が、増えているんじゃないかなぁと思います。

このコロナ期間、日記をはじめた方がすごく多くいるなぁとは感じていました。そうした文章を目にする機会も増えた気がします。

最後に、最近よく読んでいる「日記的なもの」を挙げて、今日は終わりにします。



ぼくも誰かの応援をしようと思います!