何でもない1日も、何かが動いている、と9月12日の日記
“次のフロアへの踊り場にいる。”
今の自分は、そんな感覚なんだなぁと、今日のダーリンを読んで思った。
「停滞感」は悪いものじゃない。
同じようなことを何度か書いた気もするけれど、
次の段階にステップする手前で、
激しい停滞感に襲われることが、よくある。
身体や頭の中が腫れぼったい感じになったり、
漠然とした不安に覆われてしまって、
何から手を付けていいのか、見当がつかなくなったり、
周囲の散らかった状況が気になってみたり、
親しい人たちのなんだか無理解な反応にいらだったり、
そういえば天気もよくないから気が晴れなかったり、
とにかく、いったんどんより沈むことがある。
ある程度の時間が経つと、きっかけもないまま、
空が晴れるようにあかるくなってきて、
新しい地点からものごとを見られるようになっている。
そして、しばらく前のあの停滞感は、
ここに来る前の成長にともなうものだったのかと、
気がつくことになる。
じぶんで何度も経験してきたことで、なおかつ、
友人や知人たちの発言やらから感じとることでもある。
次のフロアに出る前の、薄暗い階段の踊り場。
気分はよくもないし、そんなところにいたくもないが、
かならず通過しなきゃならないものなんだよね。
その時期に、簡単に気晴らしをしてしまうと、
前の階にもどっちゃうのか、そういうルールなのか、
確かめたこともないので、いまだによくわからない。
「なんだかなぁ」などと、ちょっとぼやきながら、
ちょっと辛抱して腫れぼったく過ごして、
黒雲が風に流されるのを待つしかないのだろうな。
実を言うと、ぼく自身がここしばらくそういう時期で、
どうしたものかと足取り重く生きていたのでした。
ただ、長年生きてきた経験もあるから、
次の階にやがて上がれるという自信みたいなものが、
こころの奥にあったのはありがたかった。
「停滞感」は悪いものじゃないと、これは、ほんとう。
前を向いていながら足が動いてないと気づいているから、
感じることができるものなのだ。
で、いま、もう次のフロアが見えてきてるんだ〜。
(9/12付「今日のダーリン」)
*
昨日読んだ、文章でもう一つ紹介したいものがあります。
山田ズーニー先生の『おとなの小論文教室。』
気持ちが少し沈んでいる時に、妙な発見がある場所です。
言葉の力は、すごいなと思う反面、
感情に簡単にレッテルを貼れてしまえる怖さを感じます。
声にのせた心を受け取ろう、私。
家族にしろ、友だちにしろ、同僚にしろ、
私が苦しい時に言葉をかけてくれた人は、
「愛してるよ」とはなかなか言わないこの社会で、
ハグの習慣のない集団の中で、みな精一杯、
私に心を配ってくれていたんじゃないか。
そこに同情というレッテルを貼ってしまったのでは。
同情は悪いものか?
距離を保つにしろ、自立を促すにしろ、
そこに行くまえに、相手の悲しみに悲しむなど、
いったん同じ感情を共有しようとする過程は、
要るんじゃないか、ただ程度の問題で。
高潔に、繊細に、同情を拒否するのも自由だ。
でも、大切な人が苦しんでるとき、
自分は、そんなに高潔に、繊細に、うまく
言葉をかけられるのだろうか?
*
紹介ばかりになってしまうけど、茂木健一郎さんが、今朝書いていたnote。
生活をするだけで、人生を“リミックス”(編集して価値を生む)している。
自分という人生の歴史は、自分が今日選択するほんとうに小さなことで大きく変わる可能性がある。
たとえば、ランチに何を食べるかでも、それによって出会う世界によって自分の人生は変わるかもしれない。
ましてや、次に読む本が何であるかで、あなたはインスパイアされ、新たな方向に突き動かされ、結果として数年後には全く違った人になっているかもしれない。
一つひとつの選択を、一つひとつの出逢いを、「これで人生が変わってしまうかもしれない」という潜在的な希望とたくらみと少しだけのおそれとともに迎えたい。
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最近、とてもよく考えていることの紹介でした。
気持ちが沈んでいるというのは、季節的なものでもあるし、人間の特性でもあると思う。こういう時があるからこそ、いい意味でブレーキがかかったり、思考を深められたりする。
ぼく自身にとってそれは、「最近、考える時間が少ない」ことだったり、「妻とゆっくり話してないな」だったり、「人生が作業的になっているなぁ」といった感情の積み重ねであったりする。
今回は、そのどれかであるかもしれないし、どれでもない新しいことなのかもしれない。
でもでも、人が生きている限り、「これまでの積み重ねてきたもの」と、「今、目の前にしているもの」が出会って、新しい「何か」が生まれていく。
それは、地球の構成員全員に起きている事象であって。
そういった気持ちの浮き沈みやら、偶然の出会いやら、感情の発見があるから人生はおもしろいんだよな。これは、負け惜しみでもなんでもなく、そう思ったりする。
こういうのも、“noteを毎朝書くようになったから”なのかもしれないなぁ。
さて、今日も人生を“remix(リミックス)”していきましょうか。
*
9月12日(木)
朝、珈琲を淹れて妻のポットへ。深めのブレンド「猿田彦フレンチ」はアイスでも美味しく飲めると思う。少し余ったものを自分用のマグに氷を入れて飲みました。
noteをアップ。内容は見返さないと覚えてないです。
娘を起こして、そのまま着替えさせて、登園!
朝のスピードは1日の中で一番しゃんと動いている気がする。
昼、ある程度やることがあり、それを済ませてからランチへ。いつものカレー屋さん。豆のたくさん入った「ダルカレー」が今日の日替わりだったのでオーダー。秋だからか、少しだけ胃腸の調子が落ちている気がするので、パクチーを追加、もぐもぐ食べる。香草を意識的にとっていきます。
夜、少し作業的なことを進めて、LINEのオープンチャットでの仕事などもしているとあっという間に遅い時間になってしまった。
オープンチャット、珈琲店の開業へ向けて自分でもはじめているけど、ふむふむって感じ。何より、新しいことへの興味は尽きないです。
今日は有給なので、コーヒーのイベントへ行って、映画を観に行って、夜は原宿でのWasei Salonのイベントに参加してきますよ。