「筋の良さ」って何だろうねって考えたメモ、と9月7日の日記
ぼくは、ずっと「筋の良い人でありたい」と思っています。
なんでかって言うと、ぼく自身がそういう人を「いいな」と思うからです。
でも、それだとあまりにもつかみ所がなくて、ぼく自身が何を以て「筋がいい」と思っているかを考えたいなと思いました。
そんな考えていることをそのまま吐き出してく系のものを最近書いてなかったので、日曜の今日はそれを書いてみようかと。
なにを「筋がいい」と言っているか?
形容詞として「筋の良さ」ってなんなんだろう?
ぼくの場合は、「人」に対してこう思うことが多いような気がします。
モノよりも、「人」に対して。
そして同時に、それをその場で口に出して伝えては「無粋」だという意識があります。つまり、感じることが優先されることで、理論として整理できない何か?なんだと思っています。
人について、こんな「感じ」を持った時、ふっと浮かぶ言葉です。
・センスがいい(これはこれで、言語化が必要だけど、一応)
・想像力がある(相手の立場に立って、コミュニケーションができる)
・想いがある(能力というよりも、心に秘めた何かがある)
・情報感度が適切(疎くもなく、敏感すぎず)
・利他性に溢れている(かつ、他人のために自分を無下にしていない)
主観的な判断軸であることは、確実だし、それを人に説明しようとするとどうしても言葉にしにくい話。こういうこと、誰しもあることなのかなぁ?
「自分軸」から、世界を見ているかどうか。
そもそも、評価軸が自分の中にちゃんとあるか?
この部分もかなり強いと思っています。
まずは、ここに落ち着いて良いかと。
それとも、他人や世界の評価軸に“おもねって”いるのか?(「阿る」ってすごい字を当てるんですね、知らなかった。)
会社名、職種、肩書き、出身校などの学校名、収入の多寡、年齢、性別、居住地域、、その他、他人が決めた評価軸、判断軸って結構ありますよね。
ぼくは、個人的にツイッターとかSNSのプロフィールに『肩書き』をドンって書いているのを見ると、「“記号”を用いて、わかりやすく自己表現をしている人(好意的)」な場合と、「ステータスを“誇示”して、マウンティングしたいだけの人(残念な気持ち)」に分かれます。
この判断自体もかなり微妙なところですが、確実に二分されます。そして、後者の方を、そっとミュートしています。
その判断って、「絶対的」なものではもちろんなくて、あくまでぼく自身の「主観」です。
でも、それでいいんですよね。主観全力でいいと思ってます。
世の中、「正解」を求めて安心したがっているし、
逆も然りで、行いや考えを「間違い」だと指摘されると、「感情的」になるきらいがあります。
ぼくはその辺りの様子を物陰からちゃんと見ていたいと思っていますし、世界の誰もが、自分で自分を評価できるようになればいいのにな、と思っています。
誰に“阿る”ことなく、自分の想いや、状況を吐露し、自分で自分のステータスを評価できるようになりたい。
それは、理想論なのかもしれないけど、「筋がいい」ってそういうことなのかな、と。
いつまでも、『理想論を諦めない人』でいたいと、強く思っています。
最後に、『Wasei Salon』でご一緒している鳥井さんの記事を参考に。
引用したブログ『隠居系男子』はこちら!
これまでの時代は、ある一定の集団の中で“和を成す”ために、否応なしにまわりの目線や声を気にする必要がありました。
でも、今は違います。
本当の意味で“和を成す”ために、まわりの声よりも、自分の心の声に「敏感」になったほうがいいんです。そのほうが本当の仲間を見つけられるようになる。
ソーシャルネイティブ世代はそれを直感的に掴み取って、実直に行動しているんだと思います。
(“整いすぎている弊害”って、ある気がしていますよ。)
*
9月7日(土)
朝、妻が終日、舞台に出かけるというので、朝早くに練馬の「アンデス」へ行ってモーニングしてきました。「ブレンド+トースト+ゆで卵」に、一杯おかわりもして、600円。驚異的。
そりゃ、朝からどんどん人が入るわけです。
こういうとき、『老舗』って強いなぁと思います。凄さを感じます。
ブレンドがとびきり美味しいわけでもないし、トーストが格別豪華なわけでもないんですから。お客さんは、この店のこの時間を過ごしにやってくるんです。本を読んだり、新聞に目を落としたりしながら思い思いの時間を過ごして満足して帰っていく。
昼前に、自宅に帰ってきて、娘とお留守番をスタート。ぼくも娘もお疲れな様子で、14時くらいまでお昼寝しちゃいました。ぐうぐう寝て、おやつの時間に起きて、素麺を茹でて食べました。
娘が素麺大好きなんですが、なんであんなに素麺好きなのか、いまだによくわかりません。めんつゆが好き?細麺が好き?それとも、、うーん謎です。
遅すぎるお昼を食べた後は、少し夕涼みのお散歩に出ました。
娘と二人、街を歩っているとなんだかいつも見ないものが気になったりして、頭の体操になったりします。段差とか。
暗くなってきてから帰ってきて、お風呂を沸かしつつ、ご飯を食べることになったのだけど、お腹が全く空いていなく作る気が起きず。。
ただ、娘はなぜか空いているようで、せがまれたので、仕方なく『鶏もも肉』のローストを塩胡椒で味付けして出しました。普段から冷凍で保存しているものを出して自然解凍して、焼くだけなので楽チン。
それ以外には、小松菜と豆腐と人参を刻んで、味噌汁を作って二人でもぐもぐ食べました。
このダルい感じは、なんだろう?
夏バテならぬ『秋バテ』でしょうか?
日曜もゆっくり家で過ごしつつ、よく寝ようと思います。
たいへんなのは当たり前。生活をしよう、生活を。
ぼくも誰かの応援をしようと思います!