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しつけができない世界と帰らずの森

「いや、これは痛くしなくても痛いってわかるだろ?」
 ──痛かったことがないからわからないんだ。

「だから、転んだことくらいあるだろ? あれと同じだよ」
 ──転んだことがないからわからないんだ。

「転んだことないってそんなことある? 常識だろ」
 ──転んだらダメって言われたから、転んだことない……。

 常識ってなんなんだよ。「ぼく」にはそれがわからなくて悔しい。転んだらダメだって言われたから、すごく気をつけて、転ばないように生きてきただけなんだ。なぐるのとなぐられるのは同じ痛さ、と言われてもわからない。なぐっちゃダメって言われたから、なぐったことがない。殺しちゃダメって言われたから、虫だって殺したこともないんだ。

 だから、なんでだろう。

 殺したらいけないと言われてもわからない。

 でも「ぼく」は殺したことがないから……。

なぜダメなものはダメなのか


 ひとが言われてなくてもわかるのはなぜだろう? 知ってることは言われなくても知っている。知らないことも知っていることと同じだとわかればわかる。だから言われなくても知らないことがわかる。

 そのためには「はじめに知っておくべきこと」を知らないといけない。それなしに、言われなくてもわかるだろうと言われても、わからないものはわからない。ダメなものはダメだとわからないと、ダメかどうかがわからない。

 現代はあたまの「よくない」ひとに冷たい──というと、そんなことないと誰もがおもう。なぜなら「あたまがよくない」から。あたまがよくないと、あたまの「よくない」ひとが、なぜそんなことをするのかわからない。

「ダメなことがダメだとわからないのって、なんで?」

「バカでしょ? おかしくない?」

 それはそう。しかしそれは「ダメなことがダメだとわからない!」と叫んでしまうひとのことをわかれないということである。それって「あたまがよくない」ってことだから。なぜダメなことがダメだとわかれないのか。思い出そう。ぼくらはなぜダメなことがダメだとわかっているのか。

 こどもに「なんで?」「なんでェ?」と聞かれて、いつまでそれを答え続けることができるのか。いつまで「ダメなものはダメって言ったでしょ!」と言わずにガマンできるのか。できてないひとびとは沢山いる。何もおかしくはない。いたって「ふつう」だ。

 ほら、ショッピングモールに行けば、すぐ会えるよ?

 だから「ふつう」はダメなことをダメだと説明できない「あたまのよくないひと」だとわかっておいたほうがいい。いつから「あたまがいい」と思っていたんだろう? ぜんぜんそんなことないのに。ダメなことはダメだという理由さえ言えないのに。

 絵本の角で「しつけ」されたい……ってコト?

 泣いちゃダメだよ。こどもじゃないならね。

教えられないから、教えられない


 痛い。痛いことは痛い。それは生まれた瞬間から知っている。たまに知らないこともあるけど、それでは生きていくのはむずかしい。痛くないと、痛いとしぬってことがわからないから。

 痛くなくても痛いとわかるのはなぜなのか。痛いものと、痛くないものがわかるから。ひとつ痛いことをわかればどんな痛いこともわかるなら、痛いのはいちどでいい。でもそれは、ちょっとあたまがよすぎる。

 あたまの「よくない」ひとは、ぜんぶの痛いを知って、やっとぜんぶの痛いがわかる。だからあらゆる痛いことを知らないといけない。なのに世界は痛いことを教える機会をなくした。これは痛いからやめよう。これも痛いからやめよう。ついでにあれも痛いからやめよう。だって痛いとしぬから……痛くないことはいいことだから……。

 いいことだけど、いいことだけじゃなかった。

 世界の中に「誰もしなない世界」はつくれたけど、その世界で「しぬほど痛いを知る」ことはまだできない。誰かがしぬ世界の方で「しぬほど痛いを知る」しかない。ダメなものはダメだと。生まれた瞬間から知っている「これ以上ないほどの痛み」と同じだと。説明されなくても身体で絶対にわかる絶対の痛み。

 しんだらしぬ。殺してもしぬ。しぬほど痛いとはどういうことか。殺すということは「しぬほど痛いことの次」にあり、殺すということは「しぬほど痛いをされる」こともある。なぜなら「しぬほど痛い」がすきなやつはいないから。すきなやつはもうしんでいる。だからそれはダメなんだ。そして「道」はひとつじゃないことも。こどもはおとなと森をあるけばなにもかもわかる。

 それを知る機会だけがどこにもない。

 痛いことを教えてあげなければならない。でも痛いことは教えられないから、痛いことを教えられない世界。誰もわるくなくて、みんなわるい。誰もわるくなりたくなくて、みんなわるくなる。だからみんな、その子のためにそっと道をあけた。それを忘れないようここに書いておく。

 その子だけが知らない「森」へ続く道。

 そこから帰ることはできないと、みんなだけが知っている。


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aizuk
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……