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身体はリアル、頭脳はインターネット

 名探偵の薫風をまとって、いざ参らん。

 noteアカウントを作ってぼちぼち3年目である(3年目!?!?!?)。そろそろ3年生進級の儀を執り行う時期であるが、それっぽい話題にブチ当たったのでふりかえりっぽくやっていく。

 途中、30分クラスの音声コンテンツがゴリっと重く存在していたため1年ほど中断していたのだが(なぜそこから復帰してしまうのか。まったく息の長いことをしていると我ながら思う)、このバチグソ毎日連載長寿コンテンツの過去ログを延々と追いかけている。


2017年スタートダッシュ時点。
「かわいそうランキング」が世界を支配する
 →せやな
「ワンオペ育児・ブラック夫」などと名付けたところで問題は解決しない
 →そやな

2020年の一幕。
暗黒メモ「SNS時代の『三種の神器』がついに完成した」
 →せや……せやないな。もう神通力、キレとるやないかい。

2023年現在。
「こうなることは、わかっていたから」
 →ほならな、やっていくしかないんや。


 2021年に読み始めて2020年半ばまで読み進めたのであと半年~1年分。読み切ったことないけど、こち亀を読み切ったときはこんな気持ちになるのだろう。読み切ったことないけど。

 アングラコンテンツと揶揄されていた? らしい? ものが単に僻地で知られている謎のコンテンツに格上げされた? ような? いやそれは格上げなのか。しらんけど。ともかく隔世の感がある。

 相変わらず好きな人は好きで嫌いな人は嫌いなので、各自好きにやりなはれや、だがしかし、たかし。好きも嫌いも沼り過ぎると腐るでしかし。頭SNSになってるとロクなことにならん。noteもSNSやぞ。

 そも、現生インターネットはだいたいSNSやっちゅうに。彼の言う「我々はインターネットを止めるべきではないか?」というギャグはギャグで反語なのだ。つまりインターネットはやめらんないってこと。

 それもうインフラなので。ギャグを真に受けたらいけない。カラダもアタマもインターネットにしたらあかんて。


 上記連載でも直近半年ほど通底するトレンド「身体性」の話。インターネットは便利。AIは便利。頭脳労働を肩代わりしてくれる。でもおまえの頭をインターネットに肩代わりしたらやべーやつのできあがり。ちったあ身体で考えろ。

 なぜか大学()の卒論()でこの「身体性」を課題図書として書いていたのが懐かしい。何を書いたか、本の完全なタイトルも思い出せない。がしかし、だがしかし、たかし。自分の人生において天然自然当然に身に着けていた「身体性」というワードが登場したとき、ちょっとすきぴのうれぴな感触がビリッと脳髄を走ったことは告白しておく。

 自分のnoteでも参照回数おもいだすことが高い気がするのだが、AかBかと聞かれたら両方だっつってんだろの法則があるため、身体性と頭脳性と聞かれたら天然自然当然に両方両刀二刀流だっつってんだろとなる。

 そういう視点でふりかえったとき、インターネットは2020年から2023年でこんなに変わってしまったんだなぁと思うのだ。リアルは言うほど変わってないけど。なんならインターネットも言うほど変わってない。

 変化が早い、速い、ハヤイスギルと言われているけれど、意外と渦中にいると慣れている。コロナ禍も慣れてそして終わる。でも振り返るとやっぱりハヤイ。でもネットを切ってリアルを見ると「なんかあったか?」と言うほど変化は静かで、人々が行き交う雑踏はかしましい。

 身体は確実に老いるものだけれども、20歳から60歳になるまで40年もかかる。それは主観的には一瞬だったりするけれど、客観的に言えば40年はとても長い時間と言える。

 一方で頭脳、あるいは心変わりは主観的にも客観的にも一瞬で変わりうる。ネット漬物になった脳みそは「どうしてこうなった?」と言うほど変化が早く、人々が罵詈雑言を交わす空間はやかましい。もうええわ。

 ええから踊れ。アタマちゃうわ。カラダの方な。こうやるんや。

 いやアタマで踊るんちゃうわ。カラダでこう踊ってな……。

 ほんで、コンクリートの田んぼからわっかを収穫してな……。

 日常的にリアルの身体を動かしつつ、非日常的にインターネットの頭脳を動かして、何やってんだコイツ? と笑いながらたまにマネしたり、こりゃマネできないわ、と感心したり……え、あれ、これ来週、書くことなくなくなくね?

 まあいっか。
 犬は歩けば棒に当たり、猫も歩けば障子を破る。

 つまり人も歩けば壁を破るッ!!
 下書きは200件あるッッ! チェストォォァァァ!!

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aizuk
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……