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天空人気、男女平等、雨後晴前

 年度明け、にわかにニワカ漢詩めいたタイトルが錬成された。今年はnote三年生。サンがつくとさわやかな気持ちになる。晴れやかに一年のnoteを始められるというものである。

 しかし執筆時間現在、外は雨でジメジメを通り越してヌレヌレであり、晴れやかどころか夜もとっぷり暮れている。流行りのLo-fiミュージックビデオが似合いである。ラストスパートにスウィングなジャズを聴いて本日の仕事を収め、白色光を落として黄色光のもとで書いている。気分はカフェ。

 物語を書くウソをつくのはたのしい──

 だがウソをつかれるのは絶対に許さん。


 というわけで年度明け早々に「それ以上いけ……いけな……いけないってゆってんだろ!」と心がぴえんもやむなしのマガジンの話をしたい。いや本当にネットのイライラ・ギスギスをなんやかんやするマガジンとは一体なんだったのか。リアルのイライラ・ギスギスをネットに転写するな。さきに転写したのはネットだって? それはそう。

 利用者の大多数に届いているかどうかは利用者にはわからず、一部に届いて一部に届いてないことだけがわかる。一般人にはわかりたいことがわかりそうでわからないのがユーザ心理の読めなさというもの。

04/01(土):「ミスだらけでも、前を向く」
04/02(日):「時間旅行者の呪い」
04/03(月):「ジェンダーママを信じるな」
04/04(火):「フェミ先生との思い出」
04/05(水):「恋愛弱者男性」
04/06(木):「恋愛強者女性」
04/07(金):「キモ・センサーのパラドックス」
04/08(土):「ロスジェネ非婚女性の哀しみ」

上記マガジンより4月タイトルを抜粋

 1日目以外のすべてが男女のいさかいの話である。

 ワ…ワザとなのか…もしや文壇を煽っているのか?

 まちがえた…分断を煽っているのか??

 今月は清々しい新年度のはじまりにふさわしい、心温まるテキストからはじめていきたいと思います(月のはじめはいつも闇ばかりだったので反省しています)。

年度明け記事冒頭のあいさつ文より転記

 ワザとですね。本当にありがとうございます。

 反省している風・反省していない風・好意的ユーザ心理アシストチャレンジなのか。かれらの内心はさておき、インフルエンサーことハーメルンの物書きホラふきの言うことなど真に受けてはいけない。

 でも物語を書くウソをつくのはたのしいから仕方ないね。

 あまりにも飽きるほど連続して分断を煽られると、飽きるので何も感じなくなるため、分断を煽られている気はしなくなるものだ。イライラ・ギスギスを浴び続けると、イライラ・ギスギスしなくなる。すごい(※それは期待効果ではありません)。ありがとう病原菌インフルエンサー。ありがとう免疫。

 そこでふと引っかかったのである。「女性の方が事実上の権力があるため誰も敵わない(大意)」という表現から、昨今のトレンドとして「女性の方が事実上の権力があるため世の中を動かせる(大意)」と味付けが変わってきている。そこにひそむ錆び付いた後味に。

 私たちは全員キモいのだ。美しくなどない。醜く、不気味で、不愉快な存在になろうと、それでも追い求めたかったなにかがあるからこそ、この道を選んだはずだ。思い出せ。

 一緒に戦列に加われ。傍観者をやめろ。

 本当の敵は自分たちの背後にいるのだ。

 後ろを向け。剣を抜いて構えろ。

マガジン限定記事「腐女子たちからのSOS」

 上記の提言がわずか一年前のこと。


 まったくの無風であったなと。もともと抜いていた人は剣を抜いているが、後に続く者もいただろうが、空気が入れ替わるようなことはついぞなかったように思う。今年になってとある連鎖性爆風コラボレーションが起きるまでは。

 そこからなんやかんやあって潮目が変わったと言われているのが、上掲マガジンにおける昨今のストーリーラインだ。ちなみに筆者の現実世界もまったくの無風、すなわち凪である。なにも起きていない。平和そのもの、ハリのない世界である。

 ウソです。Chat GPT以下の生命体に遭遇してうんざりしました。

 しかしリアルにしろネットにしろ、表ェ出ろと言われて出る女はそうそういるものではない。良くも悪くも裏から「抜け駆け」するのが基本戦略というものだ。男じゃないんだから基本的には表ェ出る腕力あるわけないだろという。それが大自然の掟、大奥めいた女社会の厳しさである。

 力なきものは裏へ回れなのだ。

 女が太陽だとか女の方が時代精神を変える力があるという表現も、男のバカさはファーストペンギン的な代物であり、そこで盛大に上げた水しぶきが赤けりゃ「これは食われてますね……」と引くし、「これわ……青くね?」となれば賢く抜け駆けしに行く。そうして暖まった空気が風を産むという気流の話と捉えると納得が沁みてくる。

 女は賢いからこそ怖気づくところを、男は死を省みないバカだからこそ血路を開き、女は開いた道を賢く行く。たとえ先行き不透明で未来が暗くとも、女がバカのように明るく楽しく温かく笑っていれば、男は北風の吹きすさぶ極北の地でさえ、熱く賢く力強く働き続けることができる。

 なるほど空気をつくるのは天気の子。凍りつき閉じた心を解いて開くのは太陽の小鳥というわけだ。

 やるき、げんき、きいろ。

 元気バカであればなんでもチュンピヨできる。

 ではもうすこし現代史に寄せてなぞって描画し直してみる。

 ──戦後、焼け野原から男の力を軸に息を吹き返した。だからこそ力による弊害が次第に濃くなっていった。それはときに暑苦しい。そこへ女の涙が投下されなにもかもが鎮火された。人々は久方ぶりの涼を喜んだ。ホッと胸をなでおろすばかり。

 しかしそれも永遠ではない。長雨はすべてを津波のように、だいじなものを押し流してしまう。人々の暮らしを土砂崩れのように崩壊させてしまう。夫の魂は妻に無断で捨てられる。そうして足元はどこもかしこもぬかるんで、って立つ真実もって立つ事実も寄る辺なく、すべてが泥に沼っていく。

 あんなにうつくしい涙が、これほどひとびとを慰めたものが、よもやひとびとを殺す毒になろうとは、だれも思わなかったのである。日常的に使っている者を除いては。

 しかし、しかしだ。表で駆け回る暴れ馬たちを尻目に、陰日向に忍ぶものたちが抜け駆けする。ひっそりと生きる。それが「産んだス文明」なるものとしていま潮流を産み、雨の後、晴れの前触れとして天使の梯子を雲から遣わしたのである──。

 描画終了。

 男女平等の名のもとに色々なものがフラットになり、見通しの良くなった河原でBBQ。そこで男たちを触媒にして打ち上げられた花火が、女たちを媒介して広がる。寄り合わさったコンテンツの「人気」がそだち、「空気」をじわじわと入れ替え、やがては「天気」すら晴れてゆく。天空人気、男女平等、雨後晴前。桜咲き桜散る、訣別けつべつ友誼ゆうぎむすぶ端境期はざかいき

 それは逆も然りである。逆も然りであるからこそ、逆の逆が然りであることからも逃れられない。互いに互いを証明しあう共犯的互恵関係。なんど裏返っても、けして切り離すことのできない関係性がそこにある。


近くて遠い真実と事実
合わせ鏡のような趣のあるもの


 薬は毒で、毒は薬。だからこそ、記憶のそこかしこから素材を拾って適当に編み上げたこのウソは、普遍的に不変でありつつも変わり続けていく人間の物語を写し取れているのだろうな、と満足するのである。

 今年の春も晴れやかな気持ちを胸に、ひっそりと生きていこう。

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aizuk
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……