この事件の被害者の君へ


 たとえば、君が事故に巻き込まれたとしよう。自動車事故だ。

 君はただ、徒歩で青信号を渡っていただけなのに、ぼうっとしていた運転手によってアクセルを踏み続けられた乗用車に、体をはね飛ばされた。

 その時、君は「正しい被害者」として、周りの人間からも自分自身からも正しく扱われるだろう。



 さて。今のは想像の話だったが、今度は私の目の前にいる、本物の君について話をしようか。

 君は昨日自分自身で君の体を突き飛ばした訳だが、ここへ運ばれてきて出会った看護師は何と言ったかな?医者は?君の両親は何と言った?

 それから、私の瞳は君をどう映している?

 「自殺」というのは、文字通り君が君を殺そうとする行為だ。この事件において、被害者と加害者は誰だと思う?

 その動機がいじめや悲惨な家庭環境、ひどい失恋、孤独であったとしたら。原因はクラスメイトや家族、意地悪な恋人、助けてくれない周りの人間たちにあると言える。

 けれどそれが導き出した結果に当たる「自殺」というのは、どうしたって「君が君を殺す行為」に他ならない。だから、被害者は君で加害者も君だ。

 すると君の立場は相殺されて、この世界に残るのは「可哀想な君」という存在の残り香だけ。この時の可哀想という言葉は優しい同情だけでなくて、「苦難を乗り越えられなかった弱い君への軽蔑」を含むだろう。

 確かに、間違いなくひどい話だ。原因は他人なのに、結果も原因も最終的には全て君一人が背負わされている。
 もし未遂に終わったとしても、リハビリをするのも傷付いた経験から立ち直るために努力するもの君自身。

 君の行動にショックを受ける家族や友人も少なからずいるだろうが、この世に風化しない感情はない。


 こんな話をされて、また心身が重くなったよね。ごめんよ。

 この話を結論付けよう。何が言いたいかと言うとね。


 人間にとって、この世に生まれてくることが悲劇で、最も残酷な事件だ。私たちは、この世界に産み落とされたという被害に遭っている。

 けれど、この事件において訴えられる人間が居ないのがとんでもなく厄介なことで、結果的に人は他者か自身を恨んで責めて傷つけることで、感情の捌け口を作る。


 常識を疑うことが問題解決の一つのヒントであるなら、この事件における「加害者」は母親と言えるかもしれないね。
 全ての母親と父親は無責任だと私は思う。世界は次の瞬間に何が起こるか分からないのだから、そんな恐ろしく危険な場所に新たな誰かの人生を作り出す行為は、罪であると思うよ。

 けれど、この世界では両親には恩を返すものということになっている。それを当たり前に受け入れ、疑わない人が大勢いる。

 そしてきっと、君もその一人だった。だから君は「自殺」したんだ。

 産んでくれて育ててくれた恩を、返さなくてはと思っていただろう。絶望しかける度にお気に入りの映画を見て、やはりこの世界は素晴らしいはずだと、何度も思い直していただろう。

 君はもっと早く、こんな世の中に失望すべきだったんだ。

 みんな絶望しないように生きている。週に40時間以上働いて、旅行に出掛けてみたり結婚をしてみたり家を買ってみたりしながら。
 それから、子供を作ってみたりしながら。


 失望と絶望は違う。君がきちんと失望できていたならば、「自殺」なんてして、傷つかなくてよかったんだ。



 君は加害者のいない事件の「被害者」だ。君のお母さんもお父さんも、この事件の被害者で、おじいちゃんもおばあちゃんも被害者だ。



 君は今、絶望しているか?失望しているか?

 君は今、ただの被害者か?

 違うよ。君は立派な加害者だ。
 君は君の世界を、自由に引き裂ける。


 だから君は戻りなさい。またここに来たくなったら、夢に出てあげるから。


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