日本語に主語はない? だから駄目?

 よく「日本語には主語がない」、英語にはキチンと「I」があるし、論理的に明解だ、その点日本語は特殊だ、論理的でない、などの言説がよくなされます。「日本語は論理的でない」というのは本当に論理的に正しいのでしょうか? 
 日本語の方を中心にして考えると、欧米語には「主語」という面倒なものがある、とも言えます。日本語なら、わざわざ棒を一本引かなくても、あるいは「アイ」って軽く言わなくても、誰が何を考えてるか、行ってるか、前後の言葉でほぼ決められる。日本語はそういう言葉ないし思考になっている、慣れれば何も不自由なく。論理も明解に。
 英語を話していると、you he she it などのいわゆる代名詞は、ほとんど聞こえなくても意味がわかることがよくあります。前後の文脈で、それしかないとか、あるいは互いに目の前で顔を見ながら話したりして。だから聴こえるかどうか分からない微かな発音でも理解に支障なく、対象となる実体を直接形容しないでも軽く「it」 などで済む、ように思います。

 もちろん英語を使う環境で育っていないと「このitとは何のことを指すか?」といった試験問題に苦しむのですが、生まれつき使ってる人たちはなんの苦労もなく判別できます。ていうか、英語でも何を指すのか分かりにくい文はいくらでもあるし、それはその書き方が下手くそなのであって、英語か日本語の問題、ではないと思います。英語が苦手な人には迷惑なだけです、、、
 言語学者でも文法学者でもないので良く分かりませんが。と書いて、「私は」とか「会津は」と書かなくても、ほとんどの人は私の言説だと受け取るでしょうし。
 常識は疑うために(も)存在してる、気がします。

ちなみにかってフランス人が書いた英語の論文を日本語の本に翻訳したことがあるのですが、筆者本人は「英語よりフランス語の方が、論理的に緻密な思考を表現するのにははるかに適している」とよく言ってました。

参考:『ネットワールド』、アルベール・ブレッサン著、会津泉訳 東洋経済新報社 1991年



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