アジアと日本のネット革命 20年を隔てて
DX推進に前のめりになっている今の日本に、過去に学ぶ作業が必要だと思って、そのためのプロジェクトを始めているのだが、、ふと思って、20年前に書いた本を、自分で読み直してみた。『アジアからのネット革命』。2001年6月に、岩波書店から出版してもらった。
マレーシアのクアラルンプールに3年
1997年から2000年まで、アジアのインターネットの発展に少しは貢献できることをしたいと、丸3年間、マレーシアのクアラルンプール(KL)にアジアネットワーク研究所という小さな研究所を構えて活動してきた。インターネットガバナンス活動が軸となり、実際にKLに滞在する時間が月の半分ほどになり、Y2K問題を契機に、日本に戻ったのが2000年の4月。アジアで見聞きしたことをまとめようと思ったのが、この本だった。
以下は、主として、この本の終章からの引用である。20年という時間の経過をどう感じられるか、読者諸兄姉のご感想におまかせしたい。
インターネットを動かすのはだれか
世界の諸国には、好むと好まざるとにかかわらず、アメリカ流の経済体制、企業経営手法を積極的に取り入れることが繁栄の源だとの認識が広まっている。アジアでも各国で指導者たちが、インターネットとIT革命をどうやって積極的に取り入れることに必死で取り組んでいるのは本書で見てきた通りである。アジア形の、あるいは自国特有の文化や価値観を捨てるわけではないが、現実の経済や科学技術の勢いを考えれば、抵抗するだけでは発展から取り残されてしまう。
抵抗してもそれに代わる発展の道を示すのは容易ではない。とすれば、嫌でも受け入れざるをえないというのが、多くの人々の本音だろう。
そのときに、「アジアに共通の原理」を、かりにいまはまだないとしても、今後それが確立できる展望、まさにビジョンはあるのだろうか。
インターネットは本当にこのままアメリカが支配し続ける形で発展していくと考えられるのだろうか。かりにそうだとしたら、われわれはどうすべきか。反対に、インターネットは、そのグローバルに広がる特質のゆえに、特定の国、特定勢力の一方的な支配を許さず、互いにより対等で公平な、新しい国際関係を形成するとは考えられないだろうか。
インターネットとは、だれもが自由に、安価に、かつグローバルに情報発信ができる人類史上初めてのメディアである。その特性を最大限利用するネットワーク上のシティズン、すなわちインターネットでの緊密なコミュニケーション活動を通じて「ネティズン」と呼ばれる新しい主体が登場しつつある。彼らはインターネット上で積極的に発言し、共感を絆として行動を組織し、よりオープンで民主的なプロセスを世界にもたらそうとする。
このネティズンたちの活動は、アメリカ主導ではない、新しい統治(ガバナンス)の体系を実現する可能性をもつとも考えられる。もしその可能性があるとすれば、われわれは何をすべきなのか。「多数から一つ」ではなく、「多数は多数のままに」という考え方は成立しないのだろうか。それを新しい原理として、共通の理解にすることは不可能だろうか。
日本の今後の展望
さて、わが日本がこれから国際社会のなかで進むべき進路はどこに求めるべきだろうか。二〇〇一年の一月、政府は「IT基本法」を制定し、「五年以内に世界最先端のIT国家となる」という目標を掲げて「eJAPAN戦略」を打ち出した。この「IT戦略」は、ヨーロッパでEUが二〇〇〇年に「eヨーロッパ構想」を提唱したのを受けたもので、高速通信インフラの整備を加速して五年以内に超高速ネットを国民一千万世帯で利用できるようにするといった具体的な方策から成る。しかし、果たしていま国がこういうトップダウン型でIT戦略を進めることが本当に正解かというと、おおいに疑問は残る。
なにより、eJAPAN戦略には、アジア諸国とどういう関係をつくっていくかという視点がほとんどない。わずかにアジア途上国に対して、情報格差、いわゆるデジタル・デバイド問題で支援策を講じるとの国際協調策が書かれているが、それだけだ。本書で述べてきた「ネットタイガース」の国々、アジアでも情報革命で日本より先行しているような諸国との間に、具体的にどのような協力関係をつくるのか。ポイントになるはずのこの点は「eJAPAN戦略」には描かれていない。結局欧米の先進国ばかりを見てしまっている。
相互に学ぶ、協力する、共通原理を確立する
私見でいえば、これから日本がアジア各国との間で推進すべき戦略的な課題は多く、いずれも重要だ。
まずは、「相互に学ぶ」ことだろう。具体的にはたとえば韓国のブロードバンドの普及に学ぶ一方、日本がiモードで得たノウハウを、広くアジアにオープンに共有することなどだ。
次に必要なのは、「相互に協力する」ことだ。たとえばインターネットの管理運用について、ICANNに代表されるように新しい国際機関ができ、そこでのルールづくりが進められている。それも従来のような政府代表と専門家だけの組織ではなく、NPOや、利用者・市民代表の参加も求められる機会が増えている。まさにインターネットが「主権国家」単位で構成されてきた従来の国際社会とは違う新しい人類社会の仕組みづくりを推進しているといえるだろう。
しかし、多くのアジア諸国はそういう新しい舞台になかなか参加できないでいる。経済的に辛い。英語という言語上のハンディもある。技術的にも蓄積は薄い。日本も例外ではない。
であれば、こうしたマイナスをお互いにカバーしあえるよう、アジアの各国が協力して情報交換を行い、積極的な参加、発言を行うことが必要となる。政府だけでなく、民間企業、ボランティア同士でも十分協力できる。これは日本にとっておおいに意味があるはずだ。とりわけ多言語問題など、アスキー文字でほとんど用が足りてしまう欧米のひとびとには理解が苦手な分野もあり、複雑な文字を使いこなす経験をもった日本がアジア各国と協力して提案していくことにはおおいに意味がある。
三点目に重要なのは、「共に人を育てる」ことだ。人材教育というと、往々にして途上国のひとびとに日本のもつ技術の訓練を提供するというイメージがあるが、それだけではない。日本の若者たちがこれから国際市場、国際社会で活躍できるようになるためには、とくにIT分野を考えれば、アジアの英語圏、たとえばシンガポールやマレーシア、インドに研修に出かけること、あるいは彼らを迎えることは、日本側にこそメリットがあるだろう。生きた英語力が身につくだけでも日本では得られない効果だ。日本と異なる社会のなかで、生活環境も日本より劣るような途上国で生活し、学び、働くことは、自らを鍛え、世界のどんな状況でも仕事ができるようになるための貴重な糧を与えてくれるだろう。
こうした活動を推進することによって、個々の人間のレベルで相互理解がより深まり、生きたネットワークができていく。私はよく、インターネットは情報の自動販売機ではないと言ってきた。ウェブを見て検索エンジンでボタンを押せば、条件に該当する大量の情報を入手することが容易なことは否定しない。しかし、実務のなかでいざ実際に自分が本当に必要な情報、価値ある情報を入手したいときに、画面をクリックすれば即情報が手に入るわけはない。
自分のことをよく知っている相手、こちらの問題意識に近い専門分野の友人、日ごろからつきあいのある仲間、これらがオンラインでつながってできる人間のネットワークを縦横無尽に使いこなすことが、インターネットの本当に価値ある活用法だろう。そこに、国境を超え、アジアならアジアの地域に根ざしたネットワークをもつことの重要性があるだろう。
世界がいくら線でつながっても、人間同士の相互理解に基づいたつながりはそう簡単にできるものではない。ただし、一度できあがればそれは強力な武器となる。
広いアジアが一つになることは可能ではないし、必要でもない。多数が多数のまま、互いの異なる価値観、異なるシステムを十分に尊重したうえで、足りないところを補い、重なるところを譲り合い、全体としてより高次のシステムをつくりだすことはけっして不可能ではないはずだ。そこに日本が果たせる役割もきっとあるだろう。グローバルな流れのなかで、アジアをベースにした協力関係、新しい形での地域共同体がきっと必要になる。そういうビジョンをもって、新しいアジアの姿を描いていくこと、隣国との協力関係を作り直し、アジア全体のまとまりをつくること。課題は尽きず、可能性も広がる。そこにこそ、アジアからのネット革命の本当の意義があるだろう。