アメリカ公立小学校の現場で出会う自閉症の話
▶︎逃げてきたわたし
お元気でお過ごしですか。わたしは今、音楽もラジオも聞こえないワイヤレスイヤフォンを耳に突っ込んでカフェにいます(これ、ぽろっと落ちやすくて困る)。
無音のイヤフォンをつける行為は、考えてみれば奇妙ですが、これはこれで効用があります。外からの遮断です。ものを書くときにはけっこう良いですよ。
実をいうと、家から逃げ出してきました。人間には時々こういう時間が必要です。わたしは今、お金を稼がなければならないプレッシャーに押しつぶされそうなんです。
この数ヶ月、予想外の支払いが我々家族を襲いました(いつかここに書くでしょう)。今から書こうとすることも、あるいは逃避のひとつなのかもしれません。しかしそこに興味が向いている。どうしてもそこに矛先が合ってしまう。
今回はわたしが今、夢中になっている一家について書いてみたいと思います。
▶︎多動的な働き方
わたしは複数の仕事を常に同時進行でしています。そのひとつに学校の代理教員があります。正規の先生が休んだときに代わりを授業や教室運営を担う仕事です。
複数の学校、複数のクラスに入るので、さまざまな生徒に接することになりますが、おもしろいことに、彼らとは再び何度でも会う関係になります。(一度、正規の先生との信頼関係ができると頼まれやすくなる構造になっているからです)
ですから、時間とともに彼らの性格やクラスの雰囲気、人間関係などがわたしの体に刻まれていくんですね。
クラスのなかにエイドさんがついていることがあります(子どものなかに大人がいるからそりゃ目立つ)。それは特殊児童で何らかの助けが必要だと判断され、その専門家の方(エイドさん)がひとりの児童についているわけですね。最初はびっくりしましたねぇ。
▶︎日本では「青空教室」、アメリカの教育現場にいるエイドさんの話
日本では特殊児童は、わたしの小学校時代を思い返せば「青空教室」と名付けられ、ひとつの教室に集められていましたから。その子にあわせて、ある子は主要科目のときは青空教室で授業を受け、音楽や図工のときには通常学級に来て授業を受けていたりなどしました。日本とアメリカは違うよねぇ。
エイドさんがいると、わたしはその子にどう指導すればいいか、わりと迷うことがあります。そこに大人がいるわけですから、介入することが憚られる感覚が瞬間的にするんですよね。
彼らがコミュニケーションを取っている時に割って入るわけにもいかず、かといって、教えるのはわたしの仕事なので、彼らは彼らで独立して成立していると見なすのも誤り(彼らは授業内容を教えることは仕事ではない)。実に頃合いが難しい。
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