子どものぼくに宛てた手紙(ともだちは海のにおい/工藤 直子、長 新太)
(いちばん……手をにぎって……もらいたい……ひとって……いちばんすきな……ひと……の……こと……なんだな)
――p64より引用
子どものぼくへ。
保育園でも、小学校でも、中学校でも、ずっと君は、寂しい思いをしているね。ものごころが付いたときから、友だちと仲よくなりたいのに、失敗ばかりだったね。
お父さんにもお母さんにも、褒められることもあるけど、なにか賞をもらったときだけだったね。大声で叱られることの方が、多かったね。どうして怒っているのか、だれも教えてくれなくて、なにをしてよくて、なにをしたらいけないのか、わからなくなったね。ぼくは、大人になった今でも、大声が苦手だよ。こわいことを、たくさん思い出すから。
君はまだ、こわいことの中にいるよね。小学校の4年生から、昼休みになる度に、まっすぐ図書室へ行ったね。ぼくは運動ができないし、クラスの子たちの話していることが、わからなかったから。たくさんの本と、たくさん読むと褒めてくれる先生が、君の居場所だったね。
読み終えた本が100冊になったのは、6年生のときだったかな。本は友達。友達は100人(冊?)できたはずなのに。君は、ずっと寂しいままだったね。何冊も本を抱えたまま、ひとりぼっちだったね。
大人のぼくは、最近すてきな本を見つけたんだ。『ともだちは海のにおい』。タイトルもすてきでしょ? くじらといるかが、友だちになる話。二人は、似ているところより、違っているところの方が多いんだけど。くじらはいるかが大好きで、いるかもくじらが大好きなんだ。だから、いつもとっても仲よしなんだ。
(くじらとぼくは、すきなものはちがうが、「かなり」なところは、いっしょだ)と思った。
――p26-27より引用
君はこれから、もっと苦しい目に遭うだろう。「死にたい」と思って、実行しようとしたこともあるだろう。でもね、忘れないで。今のぼくには、大切な人がいるんだよ。ぼくはその人が大好きで、その人もぼくを大好きでいてくれるんだ。いるかとくじらのように。
君はきっと、信じられないよね。ぼくも、その人に出会うまで信じられなかった。これから先も、ひとりぼっちで生きていくんだと思っていたから。
君に、この本を読んでほしかったな。ぼくがいるかで(もしくはくじらで)その人がくじらで(もしくは、いるか)。「君も、大好きな人に出会うんだよ」って、お守りに渡してあげたい。でも、それはできないから。この本も、大切な人も、未来で待っているから。
君がたった一人でがんばっているのを、ぼくは知っているから。
もし、いつか会うことができたら、たくさんおしゃべりしようね。
大人のぼくより
ともだちは海のにおい - 工藤 直子、長 新太(1984年)