世界を臨む唯一の方法――菅原敏『季節を脱いで ふたりは潜る』に寄せて
日々を、肌で感じる。汗ばむ腕の夏。粟立つ背の冬。時々、風に突き刺され。壊れ物を扱うように、あなたが触れ。
目を閉じても開いても、季節は巡る。時間は確実に進んでいるとか、よくわからないけど。季節は、肌が教えてくれる。あなたに目隠しされながら。想うことはたくさん。
しんとした部屋が、自分の中にある。(誰の中にもある?)空っぽのことがほとんど。枯葉が降り積もることもある。雪で埋もれることもある。誰かがいることもある。
その姿は見えたり、見えなかったり。もしくは。見たかったり、見たくなかったり。扉も、開いたり開かなかったり。もたれかかるぼくは、部屋の移り変わりを眺める。その景色に、自身を重ねながら。
「うるさいのは、苦手だ」
「苦手?」
「ぼくは、それをひどく憎む」
「静謐と檻は似てる」
「じゃあ、閉じ込めてよ」
「君がそれを望むなら」
不自由なときは、自由を望む。けれど、いざ自由を掴むと、どうしようもなく不安になる。人と人に揉まれ、鼓膜に支障を来たすくらいなら、静かな檻で過ごす方がずっといい。と考えるのは、甘えだろうか。ぼくには、世界が見えていないんだろうか。わからないだらけの檻。
「外に出ればいいのに」幸せのために、不幸を見ない。そのためには。当分、一人にさせてくれればいい。あなたに会いたければ、そう言うから(毎回言うとも、限らないけど)。
「君には、世界がどう見えてるの?」
「何も。だって、見てないから」
「私のことは、見えてるの?」
「むしろ、他に見るものがない」
「私を世界とは思えない?」
「世界はあなたで完結してる」
「じゃあ、私のそばで世界を見るのは?」
「……」
「……」
「考えとく」
世界の中に、季節がある。季節の中に、世界が? 快適エアコン生活。では、見えないものもある。ええ、わかっていますとも。本当は、嫌いじゃない。街も。崩れやすい気候も。あなたのことも。直視できないだけなんだ。
「そのためのことばだよ」
季節を感じるための肌。世界を見るためのことば。そうか。どちらも持ち合わせていたんだ。最初から。ぼくはずっと、目を背けていた。目だけ使えば、焼けてしまうから。でも、ことばをレンズにするなら。それはそれで、いいような気がした。あなたと生きるための。共に世界を見るための。そして、ぼくらは同時に目を閉じた。
季節を脱いで ふたりは潜る - 菅原敏(2021年)