チャートに他人を見る。
僕はインジケーターやチャートに現れるフォーメーション、ローソク足の形を根拠にトレードはしていません。相場を見ている人たちが何を見て何を考えているのか、それに対する仮説を立てることでトレードを行っています。
初心者のころにも仮説を立てたトレードを試みたことはあったんですが、トレンドに乗ったつもりが逆行、安いところで買っているはずなのに暴落、こういうことを何度か経験するうちに、仮説的思考をやめてしまったんですね。
ただ、思うところがあって、再び自分の頭で考え始め、ある日気づいたんです。値動きが複雑に動くのは、相場に集まる人々がいだく複数の解釈がぶつかり合うからだと。
相場に集まる人々は、大きな流れを見たり、短期の動きに気を取られたりしながら、やがて、自分なりの解釈に至りエントリーします。十人十色とは言え、全く異なる解釈が無数にあるわけではありません。メジャーな解釈やマイナーな解釈が存在するはずです。
そしてメジャーな解釈が大きな動きを作り、マイナーな解釈を飲み込んで行く。
僕はこれを相場に見出してトレードしています。
聖杯探しの旅に出たり、陰謀論に取り込まれたり、相場初心者がある程度遠回りするのは仕方ありませんが、結局は、相場に人を見出せないと仮説も手法も生み出せないと思います。
僕にとってトレードってコミュニケーションゲームみたいなものなんです。
これはドル円の月足と4時間足ですが、見え方が全然違います。また、ドル円をトレードする大半の人が両方を見ていると思います。月足は見ないという人でも、ここ最近ずっとドル円が上がっているとドル円をトレードしてきたのなら知っているはずです。
ドル円をトレードしてきた人たちにとって、145円付近にできたこのレンジと、長く続いてきた上昇トレンドと、どちらの方がより潜在的に意識されやすいと言えるでしょうか。又、145円をトレンドの終着点だと考える人たちもいると思いますが、この人たちの解釈がドル円を見ている人たちのメジャーな解釈と言えるでしょうか。こんなふうに考えると、145円では止まらず、147円を試すことになりそうじゃないですか。145円が天井だ、日銀が介入するはずだ、と思っている人たちもいると思いますが、僕は彼らが多数派だとは考えません。
このように、僕は誰の目にも止まるだろうと考えられるものを見つけ、人々がそれを見て何を考えるのだろうか、要するにどんな解釈を持つのか、それを想像し、どういうことを期待している人が多そうなのか、又、どんな考えは少数派なのか、そこに見当をつけるのですが、「相場観」とはこのことだと思っています。
チャートに人を想像しないと言うのは、空気を読まないことと同じだと僕は思っていますが、空気を読むのに自信がある人でも、相場では他人が見えないので、想像力で補わなければなりません。
そして、この部分を鍛えるにはトレーニングもですが、ある意味他人のことを信じられるメンタルも必要になるので、それがトレードを難しくする要因の1つなのではと思っています。
チャートに人を見ようとしていますか?
今回は以上です。ご精読ありがとうございました。