小説「りんご白書」Vol.1 鶏口となるも
鶏口となるも牛後となるなかれ
「ヒトラーは、死んだ!」とマイクに向かって学生服の毬栗(いがぐり)頭は、壇上から乾いた唇で大きな声を飛ばした。
中庭に集められた学生服とセーラー服たちは、キツネにつままれたような顔をして、眩しそうに壇上を見上げた。澄み切った青空から刺す陽光は、中庭を五角形に囲むようにデザインされた新校舎の白壁に乱反射し、忙しく揺れた。時をおくことなく、散らばった光の花びらは、踊りながら壇上に吸い寄せられていく。
これら目前に連なる動きが、考え抜かれた演出であることを知る者はほとんどいなかった。
時代は、少しばかり遡るが、敗戦の焼け野原から「奇跡の復活劇」だと世界中から賞賛された日本の高度経済成長期(1954年~1973年)の真っ只中の話である。マスコミは神武景気(55~57年)だ、岩戸景気(58~61年)だと騒ぎ立て、連日新聞紙上の一面を飾った。そして最後の仕上げの好景気を日本列島誕生の神話を捩(もじ)って「いざなぎ景気(65~70年)」と名付けたころの話、ザ・昭和の時代である。
因みに「神武景気」は、日本の初代天皇といわれる神武(じんむ)天皇即位(紀元前660年)以来の好景気だとして命名された。
続く「岩戸景気」は、神武景気を上回る好景気であることから、神武天皇から遡り「天照大御神(あまてらすおおみのかみ)が須佐之男命(すさのうのみこと)の傍若無人の暴力にお怒りになられ天の岩戸にお隠れになられた」以来の好景気だとして命名された。
そして「いざなぎ景気」は、神武景気・岩戸景気を上回る好況を受けて天照大神の父神であり、神話上の天つ神から命を受けて日本列島を作くられた「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」から命名された。
このように当時の好景気を神々の尊名に因んで命名したということは、日本人にとって昭和の高度経済成長はまさに「神風」がもたらした奇跡そのものだったのだ(とマスコミも囃し立てた)。かくして、増幅した幸福感と高揚感は抑えきれず、敗戦の絶望的なショックを拭い去るかのように国中でお祭り騒ぎが繰り広げられた。
(64年はアジア初の東京オリンピックに熱狂、東洋の魔女は回転レシーブで世界一。70年は太陽の塔と月の石の大阪万博に長蛇の列。その間、お盆休みの連休は盆踊り大会と花火大会に帰省ラッシュで高速道路は渋滞、年末はどこもかしこもジングルベルに視聴率50%超の紅白歌合戦、除夜の鐘の音も108の煩悩を轟かせるばかりか、年始は玄関口を挙(こぞ)って門松で飾り正月祝い、初詣は祈願成就で人だかり、銀幕スターは週刊誌を賑わせ、テレビは演歌・フォーク・グループサウンズにアイドルの玉手箱、真面目な若人は歌声喫茶、都会のリーゼントはツイストにロカビリーなどなど、枚挙に暇がない)
毬栗頭が「ヒトラーは死んだ!」と叫んだこの場所は、本州から九州へ渡るときの玄関口にあたる福岡県北九州市、その市内にある八満高等学校(仮名)の新校舎の中庭である。
この八満高校では、久しく途絶えていた生徒会長選挙が数年ぶりに行われることになった。今日はその生徒会長選挙の立会い演説会だ。全校生徒1209名が校舎の中庭に集められた。
空は秋晴れで清々しいが、生徒たちは落ち着かない様子である。新校舎に移転したばかりで、慌ただしい毎日が続く。内心演説会に関心を寄せる余裕などないのだ。
これまで演説会などのイベントは体育館で行われてきたが、体育館の新築工事が遅れているため代わりに狭い中庭で青天井のもと開かれることになった。
生徒会長選挙に立候補したのは、1年生の鮎川勇二君だ。残念ながら、立候補者は彼一人だ。イヤイヤ、残念ながらではない。ここ数年、立候補者は一人もいなかったのだから、八満高校生徒会にとっては画期的なこと?イヤイヤ、事件にも等しかった。
生徒会長選挙は、毎年10月までに行われ、任期は1年間だ。だいたい2年生が立候補して3年生の10月ごろに交代する。最後に実施された選挙は6年くらい前らしく、正確に覚えている教師も学校関係者も今は誰もいない。
最後に生徒会長に当選したのは、第一次ベビーブーム(1947~1949年)生まれの「団塊ジュニア」世代だった。生徒会長になったのは秀才の飯島等君だった。彼は読書家だが社交的で頭も切れ、しかも雄弁家で人を虜にした。
ただ60年安保反対闘争の学生運動に感化されたらしく、政治闘争の呼びかけビラの配布や政治集会などを校内で展開しようとした。この活動を好ましく思わなかった格闘技系のスポーツクラブの一部の猛者と対立するようになり、最初は口喧嘩も若さ故か、最後は一般学生を巻き込んでの乱闘事件に発展したそうだ。
この事件を切っ掛けに「風紀の乱れ」は、父母会や教育委員会にも知られることになり、乱闘事件に関わった生徒は自宅待機などの謹慎処分、校長以下教職員は降格・訓告などの懲戒処分などが下された。教職員のほとんどは2~3年のうちに転勤などで八満高校を去っていった。
飯島等君の消息も今となっては行方知れずで、その後彼の姿を見かけた者はいなかった。
この事件以来、生徒会長選挙は、暗黙裡の了解のもと各クラスの代表者による話し合いで決められる合議制に移行した。勿論、生徒会規約には生徒会長選挙の民主的要件は残っているが、行使する者は現れなかった。
また、新任の校長先生の意向もあり、大学受験の進学校として再出発を図るため、八満高校は学業優先、学力向上を第一に掲げ、受験戦争へと突き進んでいった。
そんな校風とも知らず、鮎川君は禁断の扉を叩いたのだ。しかも鮎川君はまだ入学して夏休みを挟んで6ヶ月に充たない新参者だ。先輩の2年、3年生の生徒たちには全く馴染みが無い。同学年の間でも同じ中学校出身者以外は名前すらほとんど知られていない。
何処の馬の骨とも知れない一年坊主の奇怪な叫び声で幕が開かれた生徒会長選挙に穏やかな気持ちでいられないのは生徒たちばかりではなく教師たちも一緒だったに違いない。「今さら何を間違えて、立候補なんだ」と誰もが思ったことだろう。
生徒会の選挙規定では、二人以上の候補者がいた場合、得票数でどちらかが一票でも上回れば当選となる。しかし今回は立候補者が一人だ。さて、どうなる。
一人立候補は、地方自治体の市町村の組長選挙なら時々見聞きするが、この場合は無投票当選になる。
しかし、八満高校の生徒会規定では、立候補者一人の場合は信任投票となる。しかも、有効得票数の内3分の2以上の信任投票がなければ当選できない。ハードルの高い当選規定なのだ。
他の高校の選挙規定も同じように一人立候補の場合は3分の2以上規定が多いようだ。
さて知名度の低い鮎川君がこんな無謀な選挙に、なぜ出馬しようと思ったのか。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」という諺(ことわざ)がある。「鶏口(けいこう)」は、鶏の頭=長を指す。「牛後(ぎゅうご)」は、牛のお尻か尻尾のことである。「小さい集団であってもその中で長となる方が、大きな集団の中で尻に付き従う者となるより良い」という意味だ。(広辞苑第七版)
今風に変換すると、小さな会社ながらも一国一城の主として何の保障もないがヤリガイ保障だけはあるオーナー経営者として人生を送るか、それとも大企業や官庁など安定した職場で末席ながら社会的ステータスが期待できるサラリーマンの人生を送るのか、前者の人生のほうが良いよねとこの諺は決めつけているけど、ちょっと待って下さいよ。
どちらの道を選択するかは、その人の人生の価値観が問われる問題で一方的に押し付けられるほど軽い話ではないと思う。現代日本の若者の多くは、後者の人生を選ぶと思うのだが。
この諺の出典は、史記・蘇秦列伝らしいので、紀元前の中国戦国時代の社会情勢においては金言だったかもしれないが、21世紀の日本の社会情勢にフッィトするかは疑問だ。しかし、そうは言っても21世紀の現代までこの諺が生き続けてきたのも事実だから、時代を乗り越えてもなお、人の心に響く心眼を持ち備えているのかもしれない。
ヤリガイ人生は「鶏口の道」。安定の人生は「牛後の道」。どちらの道も理に適っているし、一長一短がある。長い長い目で見るとどちらも正しいし、どちらも間違っているかもしれない。
さてお察しの通り、鮎川君は、「鶏口の道」を選びそうだ。(おっちゃんは断然『牛後の道』が、お勧めじゃよ。アッ、自己紹介が遅れてしもうた。おっちゃんは鮎川君の背後霊じゃ。霊も霊、零の方じゃ。0ゼロね、鮎川君には見えん。ヨロシクね)
ところで読者の皆さんは、自分の人生についてヤリガイ人生の「鶏口の道」を選ばれるのでしょうか?それとも安定安心人生の「牛後の道」でしょうか? どちらの道にするか、迷っていらっしゃいますか?それともすでにどちらかの道をお選びになって後悔されている?満足されている?イヤイヤまだ航海途中、でしょうか?
「牛後の道」は、「寄らば大樹の陰」という諺があるように、寄りそうならば大きな木の下が安定・安心・安全である。
例えば、不況になれば、まず小さな会社にしわ寄せがくる。資金繰りがショートし、銀行融資にストップがかかる。銀行口座の残高が底を尽き、発行手形の不当たりが回避出来ず、ついに倒産。倒産を食い止めたとしても、その代償に莫大な借金を抱え込むことになるかもしれない。零細企業の社長は、いつも綱渡りだ。
一方、役所や官庁の職員に不況の影響は、ほぼない。大企業も内部留保の資金や数々の保険を掛けてリスクマネジメントに余念はなく、不況対策は万全のはず。仮に損害が出たとしても、系列会社の中小企業に回して事を納めるのが常道だ。
企業城下町では、城主の意向が最優先だ。ピラミッド型のヒエラルキーの末端に零細企業の労働者たちがいる。大企業の従業員はエリート侍だ。社長と云えども零細企業の社長では、エリート侍の意向には易々と逆らえないものだ。
(この時代の歪な企業城下町の体質は21世紀になってもあまり変わりばえしないが、内実は刻一刻変化しているようだ。何より日本の中小零細で働く職人さんたちの技術が世界を虜にするパワーを持っている事が明かされてきた。残念ながら、この時代まだ夢物語だが。)
「牛後の道」は、処世術としては「王道」である。
おそらく、人生を豊かに穏やかに過ごしたい。伴侶にも恵まれ、子供たちを大学にまで送り出し、孫の世話でもしながら、何不自由も無く健康な老後を送りたい、家族に囲まれ一生を終わりたいと願っている人は、99%「牛後の道」を選ぶはずだ。また選ばなくてはいけない。日本人の8割以上は当てはまるのではないかしら。
ただし、「王道」であるが故に希望者が殺到する。「狭き門」をすり抜けなければいけない。よしんば、無事組織の一員となれたとしても、回りは秀才だらけである。出世街道は勾配のきつい急な登り坂で出来ている。ほとんどの企業戦士は出世競争から脱落していく。
また、資本主義社会である以上、資本は利潤の最大化を求めてくる。資本対資本の競争に終わりはない。イノベーションで力関係は大きく変わって来る。遅れを取れば市場から見放される。グローバル社会は、競争もグローバル化される。つまり、大企業も安泰ではない。
さて、鮎川君が選ぼうとしている「鶏口の道」は、「冒険の道」だ。「鶏口の道」を選ぶ人は、冒険が好きなんだ。生まれたときから冒険好きなのか、経験で培われた性格なのかは分からない。
つい冒険の扉を叩いてしまうのだ。冒険の道は、イバラの道だ。危険が、いっぱいだ。それでも進みたいと思うようだ。道なき道の試練が待ち構えているというのに。
救世主と目され運命に翻弄(ほんろう)されるネオは、指導者モーフィアスから赤い錠剤か、青い錠剤か、どちらかを選ぶように促される。モーフィアスはいう「青い錠剤を飲んだら、この物語はそこでおしまい。自分のベッドで目を覚まし、信じたいものを信じられるようになる。赤い錠剤を飲めば、“アリスの不思議な国”に残り、ウサギの穴がどんなに深いか教えてやろう。真実を教えてあげよう」と
ネオは、赤い錠剤(鶏口の道)を飲んだ。冒険の道、イバラの道を選んだ。映画「マトリックス」の話だが、冒険の道の厳しさは共通している。
冒険の道で成功するかどうかは、90%以上が、「運」で決まる。99%かもしれない。
ならば、努力はムダなのかと短絡的に思い込む愚か者が、いるかもしれない。しかし逆だ。運をつかみ取るためには、不断の努力が欠かせない。運は、どんな姿で現れるか予想がつかないからだ。
教養が底力を発揮するかもしれない。学力が苦境の扉を開く鍵になるかもしれない。「芸は身を助ける」というじゃないか、思わぬ特技が衆目を集めるかもしれない。それは、今まで磨いてきたセンスかも、美意識かも、ファッションかも、伝統文化かも、・・・しれない。
カモシカばかりで申し訳ないが、可能性は無限大。しかし八方美人では身につかない。得意技が身を助ける。
ネオは、赤い錠剤(鶏口の道)を飲んだ後、血を吐くほどカンフーの修行に明け暮れる。そして仮想空間マトリックスのエージェント・スミスとの死闘を制す。
実は、「牛後の道」を選ぶ人も成功するかどうかは、90%以上が「運」で決まる。今ここで生きているのも、運じゃないか。戦国時代に生まれなくて、現代に生まれ落ちたのは、運かもしれない。
戦国時代は遠すぎるか、同じ昭和の時代でも戦前に生まれたか、戦後に生まれたかで生存の確率からして天と地の開きがある。戦後生まれのあなたが、今この駄文に触れられるのは、幸運?としか言い様がない。資産家の子供に生まれていれば、「鶏口の道」も「牛後の道」も関係ないのだが。
だから、「牛後の道」で成功した人は感謝しなければいけない。両親に伴侶に友人に同僚に農民に漁民に働く人たちに、お天道さまに。
そして、その幸運の切れ端を運に恵まれない人たちにお裾分けしても罰は当たらない。(それを福祉という、おっちゃん)
さて、「牛後の道」の人も「鶏口の道」を歩もうとする鮎川君の七転八倒の青春を覗いて見るのも、いつ何時思いも寄らない「運」の巡り合わせに、落ち着いて対処できる、あるいは参考になるかもしれない。それが良い「運」でも、悪い「運」だとしてもね。
それでは、鮎川くんの冒険を覗いて見ましょう。
(一)退学を決意する
つづく