溝と愛の話

連続テレビ小説おかえりモネについて、友達が「被災していない者を救うドラマだった」と言っていた。
3.11や、その他の災害にも「被災者」と「非被災者」という感覚があって、非被災者は被災者の気持ちをわかってあげられないという劣等感・無力感があると。大切な人や場所、物を失った現地の人たちはもちろん被災者だが、(当時東北にいなかった)わたしたちもそういう形で被災していた。どっちがより辛いとかそういう話ではなくて、どちらもケアされるべき傷を負っていたんだ、と。

その通りだと思う。
東北にいた人とそうでない人もそうだし、まさにおかえりモネで描かれていたように、東北出身の人の中にも溝ができてしまっただろう。隣に住んでいた人同士でも被害の差によって静かに分けられてしまったかもしれない。

もともと人間は一人一人大切なものも違えば抱えているものも違って、その人を想えば想うほどその溝が深く果てしないものに感じて苦しくなるものだ。

───
時速36kmというバンドにシャイニングという曲がある。
ボーカル仲川慎之介が、心を病み生きる意味を見出せなくなってしまった友達のことを想いながら作った曲だそうだ。
自分を卑下する友達に対してどんな言葉を伝えるべきかわからなくて悔しくて、家に帰ってから歌詞を書いたと言っていた。

わたしも心を病みがちな人と付き合っていたとき、言うべき言葉が見つからなくて苦しかった経験がある。わたしは彼に生きてほしい笑ってほしいと大切に思っているけど、簡単な言葉でその想いを託していいほど人生が楽ではないことはよくわかっていたし、しかしなぜ彼がそれほどまでに苦しんでいるのかはわからなかった。とても無力だった。

そんな時にライブでシャイニングを聴いた。

わたしが彼に言いたかったことが全部歌われていた。
エゴのように思われたわたしの気持ちは、仲川慎之介の声とメロディに乗ればこんなにも綺麗で切実なものだった。
これを彼に聴かせればいい!と思った。
彼に伝える手段を見つけたことが何よりも嬉しかったが、自分が尊敬するバンドマンがその大切な人に対してわたしと同じような感情と葛藤を抱いていたことにとても救われた。

先日もライブがあり、シャイニングをやってくれた。
公演後にファンの友達たちと話していたら、鬱経験があり、シャイニングを聴いて救われたと話してくれた人がいた。それも、一人ではなかった。

その友達の話を聞いて、わたしまでもう一度救われた気持ちになった。この曲でわたしだけが救われてもあまり意味がなかった。恋人とはこの曲を聴かせる機会がないまま別れてしまったし、本人たちに届かなければオナニーにすぎないという不安は相変わらずずっとあったのだ。
それがちゃんと届き、救ったという。

この曲はとても陳腐な言葉で言ってしまうと大きく「生きててくれ」と「わからないけど」という曲だと思っている。
「わからないけど」の部分も含めて「わかる」側に届いたのなら、完璧に全員を救う曲だと言っていいだろう。


おかえりモネもシャイニングも、溝は埋まらないし飛び越えられないけどそれでも…!という作品だ。少し前までは隣で笑い合っていた人たちが、災害や病気という大きな力によって向き合う方向を変えられ決して触れられないもののようになってしまう。
簡単に「わかるよ」なんて言えないのは相手を愛しているからだ。相手の感じ方を尊重しているし、もうすでに傷だらけのその人にはどんな愛の言葉でも塩になってしまうかもしれない、これ以上痛くさせるわけにはいかないと思うからだ。
それって結構辛い。被災や病気より辛いなんて言わないけれど、大切な人に対して感じる無力感というものは想像よりも黒くてドロドロしている。
そんな溝のあっち側とこっち側の全員に届く作品は世界で一番優しくて強いものだと思う。全員まるっと救われてしまう。わたしにとってこの二つの作品はとても大切なものになった。きっとこれからも何度も救われるのだろう。


そんなシャイニング/時速36km、リリースは来年ですかね!
元彼くんにも届くと良いです。元気でやれよな

死にたいほどまともな毎日が俺やあなたに優しい事はないが
俺の瞳にいるあなたは輝いて、
輝いている!
シャイニング/時速36km

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