エルディア人のエレン、地球人のわたし〜進撃の巨人視聴の雑感
やっぱりわたしはまだ、
地球人なんだなぁ、と思う。
「進撃の巨人」を視て「面白い」と思うのだから。
とてもエグいシーンもあるこの作品。
初めて観たときは、超大型巨人が大津波を象徴しているのかと思い、作品のメッセージを探りながら観ていた。
2019年に、世の中に「闇の勢力」とも呼ばれる人たちの「はかりごと」なるものがあると知ったとき、
この物語と重なって見えたのが、この作品がスゴい!と思ったきっかけだった。
それからTVで放送されたシリーズをもれなく視聴し、昨夜NHK総合で放送された完結編の前編を観終えて、振り返ると、
完結編を待っていたこの一年で、わたしの内側の進化が物語の締めくくりより僅かに先んじていたことに安堵した。
完結する時にはまた抜かれてしまうのかもしれないけど、それはそれで楽しみ。
前回のシリーズを見終えたときが一番しんどかった。モニターの中で語られる世界が訴えていることと、わたしの目に映る世界全体で起きていると思われることがリンクしすぎて、悲壮な氣分になった。
なのに、この物語の続きが楽しみでしかたなかった。(初見はアニメを楽しみにしていたので漫画は放送済みのところまでしか読まずにおいていた。)
諫山先生を紹介した番組も観て、この先生の創作なら大丈夫、と信頼していたからということもある。
(何が大丈夫かといえば、物語の根底にあるのはやはり生きとし生けるものへの愛だと感じていたので。)
それにしても、こんなにエグいシーンを仮想体験するのに楽しい理由は、分かりやすく例えればジェットコースターやお化け屋敷と同じ。安全だと知っているから楽しめる。
やっぱり地球人って、もっと高次元に生きる他の星の人から見たら、みんな変人に見えるんだろうと思う(笑)
感情のジェットコースターを楽しみに来ている。
だから、この世界で、
怖い、悲しい、虚しい、悔しい…(あまり文字化したくないですが、もっと沢山ある黒っぽい氣もち)と感じる体験をするのは、言ってしまえば、自分で望んだこと、ということになる。
でも、結末に望むのは絶対的に、安らぎ、歓喜、幸福、愛…で満たされる心。
それがどんなことなのかを知るため、なんだろうと思う。
ここに来た大きな目的の一つ。
それなら、
悪役をしに来た人たちも、
わたしたちと同じはずだ。
わたしにしても、生まれてこの方、
善行しかしてないなんてことはなく、
規模が違うだけで悪いこと、
酷いこともいくつもしてきた。
そういう役割も演じてきた。
いまもしているかもしれない、
氣づいてないだけで。
「彼ら」と規模が違うだけ。
宇宙にも「邪悪」な行いをする存在がいる、と言われるけれど、
世界を宇宙に広げて見れば、
同じこと に違いない。
それぞれの役割を演じ、
それぞれの体験をするために、
その場所(人生)での
限られた「命」で
じぶんの座標に向かって生きている。
エレンもジークも、
エルディア人もマーレ人も、
日本人もあの国の人も、
庶民も大統領も、
地球人もあの星の人も、
始祖ユミルも、
わたしも、あの人も 。
進撃の巨人、
改めて、
素晴らしい作品だと思いました。
秋まで首を長くして楽しみに
終幕を待ちたいと思います。
諫山創先生はじめ制作、提供に関わる皆さまに感謝いたします。