【十種神宝修行日誌(5)】瞑想中の「言葉」はコかカミか
開いてくださりありがとうございます。
今日はボケるイトマがないアヲイロカナリヤ(略アヲカナ)です。
今日は瞑想の目的を書く予定にしていましたが、時間の都合で延期し、昨夜からの氣づきを共有させていただくことにします。
この数日で、瞑想中にモワッと出てくる「言葉」が何なのかを考察してきましたが、「個」のものか「神」とのものなのか、今日出てきたものをまた考察してみました。
瞑想の目的はカクカクサギにならぬよう、近いうちに書きたいと思います。カナリヤはサギにはなれませぬゆえ。
<この連載は>
『十種神宝(エンペラーコード)』使いのみなさまと同じ志を持つ方々と弥勒の世の岩戸を開く踊り子の一人となるべく、これを習得するための修行の記録や氣づきをつづっております。
なお、この連載での引用枠は、個別の表記のない限り、引用元、出典はすべて「エンペラーコード」(白川学館監修講座 大野靖志講師)となっております。
前回までのお話は、👇マガジンにてご参照いただけます。
【16日目の修行日誌】
●瞑想
昨日ご紹介した瞑想に入るまでの準備の型ができたことによってか、この数日で意識を鎮める「鎮魂」状態に、次第に早く入れるようになってきています。
昨日、瞑想中に湧いてきたものがどこからのものなのかを記事の中で次のように考察しました。
エンペラーコードの講師、大野先生は、瞑想で
「神*と一体になれたときには、それがはっきり分かると思います」
と仰っています。
*「はじめは遠津御祖神から。段階的に、国津神、天津神とつながるようになっていく」とのこと。
今日は意識が腑にしっかりと固定されるまでがとても速く、ブレがほとんどありませんでした。
雑念と言える思考も出てきません。
なにがしかの「神」と一体となっているなぞとはっきり分かる感じはありませんが、そこでまた、なにがしかの「意識」あるいは「想念」と言えばいいのか、立ち上ってくる「言葉」があるのです。
わたしという「個」のものなのか、なにがしかの「神」とのものなのか、わかりませんが、まだ10分もしていない瞑想を切り上げても書いた方がよいという氣がして、とりあえず下書きにしました。
ただ、日常の「個」のわたしとしてであれば、表現するのに少し躊躇する部分があります。
「個」として書くには自身が不完全ですし、「個」に向ける言葉ではないことを前置きせねばなりません。
が、今日は多くの人とこれを共有してもよいものだと思いましたので、仮にこれを「瞑想中の言霊」として共有させていただきます。
また、昨夜シャワーを浴びて就寝する直前、わたしの一番ホッとする時間なのですが、どこからか湧いてハッと氣づいたことがあり、スマホでメモしていました。
これと併せて共有させていただき、今日の日誌といたします。
●きょうの「瞑想中の言霊」
●さくやの言霊
「神」と一体となれた言霊でないとしても、
これらの言霊はたしかに、
これまでわたしが多くの素晴らしい方々から受け取ってきた言霊からできたものだと思います。
この世界にたくさんいる「神々」と一体となってつむいだ言霊にちがいありません。
●その他の修行
今日は、チリ祓いで行ないました。
どうしてもあの方の「重大発表」をチェックしたくなり、
その他の家事をしながらイヤホンで視聴。
終わってからもしばらく氣がサワサワしていましたが、
その後、うまく祓うことができたと思います。
本日はこれで時間切れになりました。
お読みくださりありがとうございました。
とほかみえみため!
【ご質問受付のお知らせ】
コメント欄にてご質問を受け付けております。
なお大変恐縮ですが、一般の方より言語処理に時間を要する脳のため、
わたしの十種神宝の修行に関することで、お答えできる準備のできたご質問から翌日以降の本文の中でお答えしていきたいと思います。
大野先生の師匠の七沢賢治先生は、こう教えてくださっていたそうです。
日常の中、相手との間の中に修行がある
(大野先生のお言葉のわたしの意訳です。)
わたしもそれに習い、修行の一環としてチャレンジしたいと思います。
なにか氣になることがございましたら、コメントにてご質問いただければ幸いです。ドキドキしながらお待ちしております。