[かりんの場合①] 発達グレー癇癪持ちの長女

こんばんは。
かりんです!

ラジオで聴いてくれてる方もいると思いますが、ブログでは初めてなので、かりんの今までの事を紹介します。

かりんは、現在小4と小1の女児の母です。
悩みなのは、生まれた瞬間から癇癪持ちの長女。発達グレー(診断はつかないけど、私も家族も近い血縁の者は皆が思っている)の状態で、今まで生きてきました。

長年、私に原因があったのかと、あれこれあれこれ考えてました。
出口の無い考えは妊娠中にまで遡り、妊娠中なのに茶道を続けたせいで、濃い抹茶を毎週飲み続け、カフェイン過多でヒステリーになったんじゃないかとか、アイスクリーム食べすぎて砂糖を取り過ぎたせいかなとか、牛乳が嫌いで飲まなかったからカルシウムが足りなくてヒステリーになったのかなとか。。

『生まれた瞬間から癇癪』と言ってるのは、大袈裟ではないです。
私の産院は産後2日目までは母子は別々で、母親を休ませてくれる所でした。
しかし、15時前に産まれた長女は、21時に物凄い声量の泣き声とカートのゴロゴロという音と共に私の部屋にやってきました。

看護師さん 『泣き過ぎで煩くて、他の子が困ってて、お母さんがみてくれないかしら』

何も分からない私は言われるがままに、長女と同室になりました。

その時から、ずーっと泣き止まず、抱っこしても何しても泣き止まず、私は産後当日から寝ることができず、4日間徹夜しました。忘れられません。

今はコロナで面会がない人も多いと思うけど、その産院はちょっと変わってて、インフルエンザが怖いからと面会禁止でした。
当時、病院に居ながら助けを求められず、個室で泣き止まない我が子と2人、話す人もなく隔離状態。
途中、泣き声を心配して助けに来てくれた看護師がハズレで、私は余計に追い込まれました。

『お母さんが安心感を持ってないから子供が不安になって泣くのよ。もっとどっしりしてないと泣き止まないわよ。』

その日、すでに徹夜4日目。
どっしりなんてできるわけないじゃん、死にそうで朦朧と生きてるのに。。
今なら、フザケンナ!ク○ババァ!と思うけど、まだか弱い私は、その言葉でボロボロに砕けました。

5日目。目の下のクマがヤバい鏡の自分の姿に、もうこれは死ぬかもと思って、泣きじゃくりながら看護師さんに『預かって欲しい、それがだめなら今日退院させてください。もう無理です。』と言いました。もう、本当に1日でも実家に早く帰りたかった。せめて自分の家でもいいから帰らせて。休みたい。切実にそう思いました。

そしたら、今度はアタリの看護師さんで、『頑張ったね、もっと早く言ってくれて良かったんだよ。』と。
私はまた大泣きしながら、昨日のク○ババァの事を言いました。
その看護師さんが、あ〜ぁって困り顔をしてたので、その時初めて、昨日の奴は、悩める子鹿を助けるふりして谷に落とすク○ババァだと思いました。

ちょっと長くなったから、また次回!

アンナさんー!
アンナさんも記録書いてねー!

では!

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