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嫌う勇気。

嫌われる勇気と同じくらいに
嫌う勇気が日本人には
必要じゃないかと思うこの頃。

オープンハートで繋がる
= あなたと愛(I)で繋がりたい

そんな素敵な世界があることを体感し
人間関係に対する、
言いづらいとか建前に対する考えが変わった。

"" ありのままの私を愛してほしいし
 ありのままのあなたを愛せる人になりたい ""

私が心から望んでいたことを
はじめて意識で認識して
望みとして放ってあげることができた。


そうしたら、
今現在に起きていた
不調和が浮き彫りになったんです。


今住んでいるシェアハウスのおばちゃん達。
毎日毎日だれかの文句が止まらない。
文句をつまみに、文句で繋がる関係性。

関わりたくなくて部屋から出ないというのも
ちょっと前から不自由で気持ち悪かった。

そして、
私自身おばちゃん達の文句を聞くとき
笑顔で、大変ですね〜そうなんだ〜
って言ってれば、可愛がられるし害はないし
おまけに食べ物ももらえるから
はいはいって言ってればいいって思ってた。

その場しのぎの対応で誤魔化してきたのよね。

だって、笑ってれば文句言わなければ
可愛がってもらえて好かれちゃうのだもの。
( わかりますか、この私のテイカー具合😂 )


なんだけど、
それが初めて私に矢印が向いたとき
何かが切れると同時に
ほんとうに久しぶりに他人にキレた😂

「ああー!!!もういい加減にしろよ!!!」

( おばちゃんに向けたようで
 私が私に一番言いたかった言葉。
 いつまで成り下がって弱ぶってんだよ
 いい加減にしろよ!!だった。)


これほどまでに溜めていた自分にも反省だし
ブワァッて怒りを放ったら、
「嫌うこと」「嫌われること」への許可が
自分の中でしっかりと降りてしまった。


"" あなたは私で、私はあなた ""

大切にしたいと私が思う人を大切にすればいい
愛したいと私が思う人を大切にすればいい
その人との関係を育むことに集中すればいい

嫌われることよりも
嫌うことの方が怖かったのかもしれない。



「私は好き嫌いがハッキリしている」許可⭕️
エゴキンマンの奴隷になっている人とは
私は一緒にいたくないという望みを許可する。


私は、
マリア様ではない。
優しい人間ではない。
傍若無人で、浅はかで、冷酷な人間だ。

そして、
私が愛せなくても誰かが必ず愛してくれる
あなたが私を愛せなくても誰かが私を愛している

なにより私が私を愛しているんだよね☺️


しかもね、怒りを放って
いい子を手放そうって決めたら
引越し先が決まって
その日のうちに引越しできたの😂

すごいよね。笑笑


ちょっとの意識変容が現実を動かす
その体験をまじまじと感じた。



"" 嫌われたくない ""
"" 私は人を嫌うような悪い人じゃない ""

良い子に縋り付いていたかった私を
ひっぺがすキッカケをくれたおばちゃん達に
ほんとうにほんとうに、ありがとう。

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