「疑い」の使い方。
パワーを自分に戻していく。
「 すべては自分自身の世界で起きている 」
ということは、"" すべて自分が起こしている ""
ということは、"" 人生はショータイム!! ""
この視点に立って、
物事を考えると
受け止めるということができる。
その上で「選択する」という
自ら「選んでいる」という感覚。
すべての人が、
「思い込み」の中で生きている。
事実は同じでも
真実は人それぞれだってことであり、
「現実」とは「思い込み」が具現化したもの。
人のせい、環境のせい、
にするということは
その人に、その環境に、
「力」を明け渡すということ。
「操縦席」を明け渡すということ。
「どうぞ、私の人生
あなたの思うままにしてください」
そう言っているのと同じこと。
わたしの人生なのに。
「私」がいつだって始まり。
「私」がいつだってすべて。
だからこそ疑うべきは、
他人でも環境でもなく「自分の内側」
他人や環境を変えようとするよりも
内観して自分の中にある思い込みに気付くだけで
世界は変わるから、スピードも速い速い。
赦すべきは、他人ではなく自分。
他責や自責の話は
自己啓発でもスピリチュアルでも
ほんとうによく出てくる。
この真意がよくわかっていなかったときは
嫌なことが起きたときに
その現象をね、自分を責める材料に使って
「私がこんなにダメな奴だから、
こんなことが起こるんだ。」
って、さらに自分を責め立てていたんです。
でもね、
自分を否定するのもまた気持ち良く
思ってるのも自分だったりしてたんだよね。
弱ぶって、動かなくていい理由にして、
いつまでも同じ場所に留まろうとする。
そうやって、
自分を匿っていたことに気付いたとき
吐きそうになりました。うえええ。
でも、気付いたときが始まり。
そんな自分にほんとうに気付けたとき。
「決断」という男性性のパワーを呼び覚ます。
神とは、意志
神とは、チカラ
恐れの世界を生きるのか
愛の世界を生きるのか
選択という自由があるのもまた地球🌏
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?